報告し、心を一つにし
使徒の働き4章23節~31節
[1]序
今回は、使徒の働き4章23~31節を通して、ペテロとヨハネの最高法院での経験が彼らの「仲間」(23節)、つまりエルサレム教会全体にどのように受け止められるようになったかに注意したいのです。
[2]「報告し、心を一つにし」
23節、「釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した」。最高法院から釈放されたとき、ペテロとヨハネは、「仲間」のところへ行ったのです。
この「仲間」とは、エルサレムに誕生し成長しつつあったエルサレム教会(1章13~15節、2章41~42節、4章4節)のことです。彼らは、4章5~22節に記録されている自分たちの経験を報告したのです。
(1)報告
「報告」と言えば、一つの命令系統の中で、ある地位を占める者が自分の権威のもとにある部下から「報告」を受けるのが普通です(16章38、39節)。
ところが今私たちが見ている箇所では、ペテロとヨハネの経験が群れ全体の経験として受け止められるため、報告がなされています。そして彼らの報告を通して、仲間の人々は、ペテロとヨハネの経験を自分達も経験しているかのように受け止めて行きます。これは、キリストのからだである教会全体とその肢体・ひとりひとりとの生きた関係(Ⅰコリント12章26節)に基づきます。私たちにとっても、「報告」は大切な課題です。
(2)「心を一つに」
報告を聞いた人々は、「心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った」(24節)のです。群れが心を一つにし、神に祈る備えをする。これが報告の目指すところです。
「心を一つにする」と訳されている単語は、新約聖書で11回使用され、そのうち10回まで使徒の働きに出てきます。たとえば、エムサレム教会の祈りを中心とした交わりを描くために(1章14節、2章46、47節)。神のみ心を求めて心を一つにして祈るのです。また祈りを通して、彼らは神のみ心を中心に心を一つにされて行くのです。
[3]祈りの中で
24~30節は、三つの部分に分けられる祈りのことばです。24節は、呼び掛け。25、26節は、詩篇2篇1、2節の引用と主イエスの十字架との結び、最後はペテロとヨハネの報告に基づく直接の祈り。
(1)呼び掛け
神の創造の事実に堅く立つことが、ペテロとヨハネが報告する切迫した現実に対処する最善の道です。
(2)過去からの報告
25節後半と26節に引用する詩篇2篇1、2節は、直接にはダビデの経験を述べています。この詩篇の光を通して、主イエスの十字架の事実を、「あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました」と受け止めることできました。エムサレム教会の人々は、神の救いの歴史における過去の出来事からも報告を受けています。
(3)脅かしに直面して
脅かしは現実です。この現実の中で、みことばを大胆に語らせてくださいと将来のため祈ります。祈りは、いわば将来からの報告です。先取りして聞いた将来からの報告が、祈りを通して生活と歴史の中で現実となって行くのです。29節の祈りが31節で現実となっているように。
[4]結び
報告を聞き、心を一つにし、祈る。これがエムサレム教会の姿勢であり、私たちにも期待され、求められていることです。
現在からの報告ばかりでなく、過去からも将来からも報告を聞きながら進む道です。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。