川口一彦
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温故知神―福音は東方世界へ(87)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本32 川口一彦
この時代、景教徒たちが霊的に弱体化しており、アフガニスタンの宣教の拠点バルクか、中国西部の拠点から指導者たちが来唐し、力づけたとの記事です。大徳は有力な指導者の意味、僧とは一般的な指導者のこと。
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温故知神―福音は東方世界へ(86)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本31 川口一彦
景教と皇帝との関係が悪い状況ではなく、すこぶる良好であったこと、景教会堂は皇帝の護衛兵で守られていたことも述べ、皇帝の表現はあまりある言葉で譬(たと)えている。日角は額の左側の隆起部分をいう。右側は月角といい、光を放つといわれた。
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温故知神―福音は東方世界へ(85)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本30 川口一彦
この箇所は、景教の力が迫害や霊的弱さにより衰えたことを教え、強めるために指導者たちが中央アジアの本拠地から唐に来て霊的に励ましたことから活力が戻ったこと、皇帝からも支援があったことが語られている。
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温故知神―福音は東方世界へ(84)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本29 川口一彦
前述にも迫害に遭遇した記事が出ましたが、信仰者の迫害はどの時代にも、どの地でも起きます。そして信仰者の弱体化の1つは迫害によることで、その対策として本部から霊的信仰者が導かれて強化をしたことが刻まれてあります。
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温故知神―福音は東方世界へ(83)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本28 川口一彦
僧首とは主教・牧師のこと。大徳とは大主教・監督のこと。及烈(ガブリエル)は、玄宗皇帝の開元2(714)年に波斯(ペルシア)から長安に来ました。このような時代に道教信徒たちからも迫害を受けました。
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温故知神―福音は東方世界へ(82)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本27 川口一彦
則天武后は690年に皇帝に就くと聖神皇帝とし、天授と改元、国号を唐から武周としました。さらに、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりとし、偽経の大雲経を作り、各地に大雲経寺を作らせたほど自らを神仏に仕立てました。
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温故知神―福音は東方世界へ(81)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本26 川口一彦
国土も潤い、文明も栄えています。高宗大帝(628~683、在位649~683、第3代皇帝で諡号は天皇大帝)は、恭しく皇祖の意思を継がれ、真宗[注]である景教を潤し、中国諸州に景教の寺(会堂)を置かれました。阿羅本は鎮国大法主となって・・・
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温故知神―福音は東方世界へ(80)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本25 川口一彦
国土は、火綿布(石綿)、返魂香(人を蘇生させる香り)、明月珠(別に夜明珠ともいい、月の明かりを出す玉)、夜光璧(闇を照らし出す玉)を出し、一般に盗難もなく平和で楽しく、景教の教えによって国主が立てられ、・・・
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温故知神―福音は東方世界へ(79)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本24 川口一彦
中国の歴史書などには、大秦国である西アジアの地誌が書かれてあった。それを紐(ひも)解いてみると、おそらく珊瑚(サンゴ)の海とはインド洋あるいは紅海のことか。衆宝の山々とはコーカサスの山々か。長風弱水はチグリス川とユーフラテス川のことか。
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温故知神―福音は東方世界へ(78)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本23 川口一彦
皇帝の写真は中国国内の各所で掲げられていた。景教会堂にもそれを掲げた。これは崇拝対象ではなく皇帝の国家的威力を示すことにあった。現代の中国には毛沢東の肖像画が、内モンゴル各地でもチンギスカンの肖像画がある。
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温故知神―福音は東方世界へ(77)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本22 川口一彦
大秦寺の文字は碑文冒頭にも出るが、大秦とはユダヤのこと。ユダヤのイエスの教えであることから景(景は世界の光イエスの意味)教とした。以前の名称はペルシアから来たことから波斯(ペルシア)寺と呼んでいた。景風はイエスの教えのこと。
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温故知神―福音は東方世界へ (76)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本21 川口一彦
太宗皇帝が景教の中国国内での宣教許可を与えた一文である。それだけではなく、長安場内義寧坊区の大秦寺をはじめ全国に会堂が建っていくようになる。
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温故知神―福音は東方世界へ (75)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本20 川口一彦
宣教師と供の者たちは太宗皇帝に対し、ペルシャから唐に来た理由を伝えた。そして自分の信じる神や救い主イエス、聖書やペルシャの地理に関して伝えた。また、図書館では聖書を漢訳し、やがて3年が経過すると、皇帝は宣教の許可を与え激励した。
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温故知神—福音は東方世界へ(74)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本19 川口一彦
この項目では初代宣教師が入京し、シリア語の景教諸経典を漢語へと翻訳作業を進めてから約3年が経過。この間、皇帝と総理大臣など政治家や役人幹部に景教について説明する。
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シルクロード&バイブルロードの中継点 中央アジア・キルギス見聞録(3)
5月11~12日。車外からは4千メートル級の天山山脈が雄大に見えた。その裾野に広がる草原にはタンポポの花が咲き誇っていた。白樺林が立ち並ぶ主要道路を西に向かい到着したところはチョルポンアタであった。
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シルクロード&バイブルロードの中継点 中央アジア・キルギス見聞録(2)
5月8~9日。講義初日、川口以外に4人の講師が話された。1人は韓国から、1人はイスタンブールから、1人は福岡から、1人は地元から各宣教師たちが発表。アルメニアのセパン湖で撮影した古代東方教会のカチカ(十字)遺跡映像が映し出された。
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シルクロード&バイブルロードの中継点 中央アジア・キルギス見聞録(1)
主なる神の奇しき導きから初めてキルギス国に足を運ぶことができたことは、感慨無量であった。1885年、この地のビシュケクやトクマクの墓地でエリカオン信徒たちの墓石が発見された。当時の数は610個、シリア語やトルコ語の文字で刻まれ、中央には十字が彫られている。
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温故知神—福音は東方世界へ(73)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本18 川口一彦
房玄齢は、太宗皇帝の側近として玄武門の変において太宗の権力奪取を助けた貞観の治の立役者の1人。中国伝記書の『旧唐書』巻66列伝第16「房玄齢伝」、『新唐書』巻96列伝第21「房玄齢伝」があるが、宣教師を歓迎したことの記事はない。
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温故知神—福音は東方世界へ(72)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本17 川口一彦
太宗皇帝(李世民、598~649、在位626~649。旧唐書の称号には太宗文武大聖大広孝皇帝とある)は、唐代の太祖・李淵の第2子。即位して年号を貞観と改元、20年以上治める。この時代を「貞観の治」と呼ばれ、太平の世といわれた。
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温故知神—福音は東方世界へ(71)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本16 川口一彦
景教の名称由来が書かれ、景教は真理によって導かれ、拡大していくと。道と聖の用語の道とは景教のこと、聖とはその生き方そのものが聖別されていることから天下に広まっていくと説明します。
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