<本文と拓本>32文字(580+32=612)
聖無常體(聖に常体無く)、随方設教(方に随い教を設け)、密濟群生(密に群生を濟え)。大秦國大徳阿羅夲(大秦國の大徳阿羅本は)、遠将經像(遠く經像を将し[注])、来獻上亰(来りて上京して獻ず)。詳其教旨(其の教旨の詳は)、玄妙無為(玄妙で無為)。
<現代訳>
「道の名は知られず、そのような聖もない。だから、多くの民に教えを説き、民を救え」と。大秦国の宣教師阿羅本は、遠方より経典と像を携えて上京し、献上しました。「その教えを詳しく知れば、奥深くて人知を超え、
<解説>
宣教師と供の者たちは太宗皇帝に対し、ペルシャから唐に来た理由を伝えた。そして自分の信じる神や救い主イエス、聖書やペルシャの地理に関して伝えた。また、図書館では聖書を漢訳し、やがて3年が経過すると、皇帝は宣教の許可を与え激励した。彼らは皇帝にシリア語の聖書類、漢訳本やイコン(聖画類)を献呈した。この時期に『一神論』や『序聴迷詩所(イエス・メシア)経』、その他の翻訳本が編さんされたと考えられる。
宣教師は入国する国の事情をよく理解することが大切で、特に現地語を習得し、文化や宗教や経済など、皇帝に関する事柄も知ることが大切である。何も知らないなら宣教する資格はないといえよう。
主イエスは自分を愛するように隣人を愛することを教えられた。愛するとは、相手を知り理解を深めることである。しかし、主の教えをもって毅然(きぜん)とした態度が相手に良い影響を与えることを忘れてはならない。
阿羅本宣教師は、大徳という称号を皇帝から受けた。キリスト信仰者として毅然とした態度で皇帝や総理大臣、官僚たちに接し、良い影響を与えた人物であったと考えられる。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
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