<本文と拓本>32文字(707+32=739)
及漢魏史策(西域圖記および漢魏の史策を案ずれば)漢魏史策(西域圖記および漢魏の史策を案ずれば)、大秦國南統珊瑚之海(大秦國の南は珊瑚[サンゴ]の海を統べ)、北極衆寶之山(北は衆寶の山を極め)、西望仙境花林(西は仙境花林を望み)、東接長風弱水(東は長風弱水に接す)。其土(其土は)
<現代訳>
[景教が来た地について語る]
漢魏の歴史書(史記、漢書、後漢書、三国志など)から大秦国を調べてみますと、それには南は珊瑚の海が、北は衆宝の山々が連なり、西は仙境の花林を望み、東は大きな川が流れています。国土は・・・。
<解説>
中国の歴史書などには、大秦国である西アジアの地誌が書かれてあった。それを紐(ひも)解いてみると、おそらく珊瑚の海とはインド洋あるいは紅海のことか。衆宝の山々とはコーカサスの山々か。長風弱水はチグリス川とユーフラテス川のことか。
とにかく、風光明媚(めいび)なことを表現していて、豊かであることを伝えている。当時は現代と違い、驚くほどの地形であったといえる。そのような地域から宣教に来たことも、神の力と恵みであるとしか言えないだろう。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
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