<本文と拓本>文字32(958+32=990)
有僧佶和(僧の佶和あり)、瞻星向化(星を瞻て化<教化>に向かい)、望日朝尊(日を望みて尊に朝す)。詔僧羅含、僧普論等一七人(僧の羅含、僧の普論等十七人に詔し)、與大徳佶和、於興慶宮(大徳佶和と興慶宮にて)・・・
<現代訳>
僧佶和(ギワルギス)が星を見、教えを伝えるために日を望みて来唐し皇帝に謁見、僧羅含(アブラハムとの説あり)や僧普論(パウロとも読める)ら17人とともに大徳佶和が興慶宮に招かれ、・・・
<解説>
この時代、景教徒たちが霊的に弱体化しており、アフガニスタンの宣教の拠点バルクか、中国西部の拠点から指導者たちが来唐し、力づけたとの記事です。大徳は有力な指導者の意味、僧とは一般的な指導者のこと。尊経に、宜和吉思の人物名が出るが、一致するかは不明です。
長安場内の興慶宮は、唐の皇帝の玄宗が皇帝になって714年に名づけられました。興慶宮は唐皇帝の宮殿で、この所に指導者たちは招かれました。現在は跡地に「興慶宮公園」が造られ、そこに阿倍仲麻呂碑が建てられています。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
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