生きていくために欠くことのできないものの一つは人間関係です。しかし残念なことに、「現代人は人間関係が下手」といわれます。人と良い関係を築きながら生きることが苦手な人は、「生きづらい」と感じます。そして、自分の部屋に引きこもり、内側から鍵を掛けてしまいます。ある方は、自分の心(精神)の部屋に引きこもり、心の扉を閉めてしまいます。
人間関係は技術(スキル)です。この技術は、生まれ育った家庭の人間関係の中で学習するものです。どんな態度を取ると相手が怒るのか。どんな言葉を使うと相手が傷つくのか。どのように甘えれば良い関係を築けるのか。また、愛されることを通して愛することを学びます。その中で赦すことも学びます。このような体験を通して健康な人間関係を身に付けていきます。
ところが、家庭の人間関係が精神的に疎遠になっているケースが少なくないのです。そこには、互いに助け合う関係や感情的なやり取りが欠乏しています。それは、互いがバラバラで調和のない自分勝手な生活をしているからです。また、互いの問題や違いを話し合い、解決し、乗り越えていく経験がありません。そのため、個々人の内に不満や怒りが蓄積され、互いの関係を破壊してしまいます。このような環境の中で育つと、精神的安定感、信頼感が欠乏し、情緒的窒息状態になってしまいます。いつも無価値な存在、愛される価値のない存在として自分を評価するようになってしまいます。また、自己不信、自信喪失、相互不信で苦しみます。そして、歪んだ甘えの姿で関係を求めるようになります。このような人は、人格的に成熟することができません。このように、人間関係の技術は家族のコミュニケーションの質が鍵だと分かります。
よく質問される事柄に、次のような問いがあります。「『三つ子の魂百まで』と言われますが、子どもが3歳になるまで専業主婦として子育てに集中しないといけないのでしょうか」という内容です。私は、いつも次のように答えます。「専業主婦として子育てに専念してきた方のお子さんにも、問題の行動や反応をする子がいます。また、共稼ぎで一所懸命に子育てをしてきた方のお子さんにも、問題の行動や反応をする子がいます」。一番大切なことは、コミュニケーションの質です。
コミュニケーションの技術を習得するには一生かかります。自分がどのような家族関係の中で育ち、どのような人間関係のコミュニケーション・システムを身に付けたかを知ることです。その身に付けたものが、感じ方、他者理解、自己理解の仕方を決定しています。罪責感さえ決定してしまうものです。ここで注意しなければならないことは、聖書の罪と良心からくる罪責感を区別することです。
私たちは、ありのままに受容する真の愛、尊敬、信頼、赦しなどを家族の中で身に付けます。また、神の家族である教会の交わりの中で、ありのままで受容されることを学びます。教会は、神がご自身の血をもって買い取られた共同体なのですから。
「吟味されない人生は、生きるに足らない人生だ」というソクラテスの言葉を思い出します。互いに吟味しましょう。
■ こころと魂の健康: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)
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渡辺俊彦(わたなべ・としひこ)
1957年生まれ。多摩少年院に4年間法務教官として勤務した後、召しを受け東京聖書学院に入学。東京聖書学院卒業後、日本ホーリネス教団より上馬キリスト教会に派遣。ルーサーライス神学大学大学院博士課程終了(D.Mim)。ルーサーライス神学大学大学院、日本医科大学看護専門学校、千葉英和高等学校などの講師を歴任。現在、上馬キリスト教会牧師、東京YMCA医療福祉専門学校講師、社会福祉法人東京育成園(養護施設)園長、NPO日本グッド・マリッジ推進協会結婚及び家族カウンセリング専門スーパーバイザー、牧会カウンセラー(LPC認定)。WHOのスピリチュアル問題に関し、各地で講演やセミナー講師として活動。主な著書に『神学生活入門』『幸せを見つける人』(イーグレープ)、『スピリチュアリティの混乱を探る』(発行:上馬キリスト教会出版部、定価:1500円)。ほか論文、小論文多数。