ある幼稚園から、お母さんたちを対象とする講演会に招かれました。講演を終えて別の部屋に案内され、係のお母さんたちと雑談をしていたときのことです。そこに一人のお母さんが訪ねて来られました。私の前に座り、「先生、うちの子は私より大人です」と語り始めたのです。
子どもがお母さんより大人などということはありえません。しばらく母子関係を伺いました。お母さんは、「私は子どもの気持ちが分かりません」と訴えるのです。しばらく、お母さんが私とやり取りをしていく過程で、子どもとの関わり方や子どもの気持ちが見えてきました。
それは、子どもが我慢してお母さんにとって都合の良い子を演じていること、どんなに寂しい気持ち(甘えたいのに甘えさせなかった)でいたかなど。そればかりではなく、お母さんが子どもの頃に抱いていた、実母に対する気持ちを思い起こしました。あの頃の自分の気持ちと同じ気持ちを、自分の子どもが味わっていることに気がついたのです。
子どもは無抵抗です。子どもは、親との関係の中で生きています。子どもは親に対して、精一杯背伸びしながら必死に聞き従います。子どもは、母親の都合の良い子になり、感情を抑圧して従うのです。良い子ほど後になると、様々な姿でその症状を表現します。
子どもは一生懸命に良い子になって生きているのです。親はその姿を見て安心しています。しかし、子どもの心身が悲鳴を上げていることに気がつかないのです。子どもが何らかの症状を起こすと、お母さんは口々に「うちの子は小さい時、手のかからない良い子だったのに」とつぶやきます。また、学校や周囲の関係者は、口々に「良い子ですよ。なぜあんな良い子が・・・」と言います。
キリスト者はどうでしょうか。キリスト者とは、生きておられる神と一対一で結ばれた人格的関係を回復した者です。それは、いのちの関係です。生きている神との関係がキリスト者の人生のすべてです。その神との関係は良好です。しかし、人との関係も良好だということはなかなか難しいものです。
私たちは、生育史の中で形成された人格を通し、神との結びつきの姿が表されます。感情を抑圧し、良い子で生きて来た人は、神との関係や教会生活においても良い子になろうとします。良い子が愛されると学習しているからです。
神は、ありのままの姿を赦し愛して下さっているのです。決して過去形ではなく、現在進行形です。神は、抑圧している感情も十分ご存知で愛して下さっています。神は良い子になることを期待していません。神は、詩篇の著者たちのように、自分の心の叫びを遠慮なく訴えることを期待しています。
「私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください」(詩篇39:12a)
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渡辺俊彦(わたなべ・としひこ)
1957年生まれ。多摩少年院に4年間法務教官として勤務した後、召しを受け東京聖書学院に入学。東京聖書学院卒業後、日本ホーリネス教団より上馬キリスト教会に派遣。ルーサーライス神学大学大学院博士課程終了(D.Mim)。ルーサーライス神学大学大学院、日本医科大学看護専門学校、千葉英和高等学校などの講師を歴任。現在、上馬キリスト教会牧師、東京YMCA医療福祉専門学校講師、社会福祉法人東京育成園(養護施設)園長、NPO日本グッド・マリッジ推進協会結婚及び家族カウンセリング専門スーパーバイザー、牧会カウンセラー(LPC認定)。WHOのスピリチュアル問題に関し、各地で講演やセミナー講師として活動。主な著書に『神学生活入門』『幸せを見つける人』(イーグレープ)、『スピリチュアリティの混乱を探る』(発行:上馬キリスト教会出版部、定価:1500円)。ほか論文、小論文多数。