前回は、「NOが言えない」「NOが聞けない」人の姿について簡単に触れました。今回は、「YESが言えない」「YESが聞けない」人について触れてみましょう。私たちは、他者に対して「YESが言えない」ことがあります。そんな日々が続くような人間関係では、生きづらさを感じてしまいます。それは、自分の意に反して同意者となっているからです。また、他者の「YESが聞けない」ということも、人間関係を難しくしてしまっています。なぜなら、他者のケアを受け入れることができないからです。
最近、岩手県の中学生が「いじめを苦に自死した」事件について、全国版ニュースで報道されました。報道内容によれば、2カ月前から担任の先生と連絡ノート(生活記録)を通してコミュニケーションをしていたようです。少年は連絡ノートを通して、いじめられていることを担任に訴えていました。具体的な内容として、「なぐられたり首しめられたり悪口言われた」「体操着や教科書がなくなった」「もうつかれました。もう氏にたいと思います」「しんでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな)」「もう市ぬ場所は決まってるんですけどね」などと書かれていたといいます。なるべく「死」という漢字の使用を避けているところに、深刻な心の痛みを感じてしまいます。
特に、本児の「なぐられたり首しめられたり悪口言われた」という訴えに対して担任は、「それは大変、もう解決したの?」と返答しています。その返答に対し本人は「解決していません」と応答しています。また、「先生にはイジメの多い人の名前を教えましょう」には、「上から目線ですね」と答えています。そして、最後の「ぼくがいつ消えるかわかりません」の訴えに対し、「明日からの研修、たのしみましょうね」です。その数日後、中学生は自死してしまいました。
このやり取りから本児は、NOを発信する力を持っていた素晴らしい中学生だったということが分かります。ところが、助けを求めた中学生が発したNOに対する担任や周囲の大人たちの対応こそ問題です。それは、中学生のNOに応答することができなかったからです。これが、「YESが言えない人」(非応答者)の姿です。YESが言えない人は、他者に対する責任を果たさない人ということです。その結果、いじめをしていた人たちに対し同意者となってしまったのです。
私たちの日常の人間関係はどうでしょうか。私たちは、何らかの助けを求められることがあります。その求めに対し「YESが言えない」ことがあります。その時にこそ、自分の内側に何が起こっているのか気付きがあると素晴らしいのではないでしょうか。そして、自分を修正する方向へ向かうとより健全な関係性を築くことができるはずです。
また、私たちの周囲に他人のケアを受け入れることのできない人が存在します。このような人は、誰かの援助を必要としていても、人からの援助を「ハイ」と言って受け入れることがなかなかできません。そのため、社会的に引きこもりがちになってしまいます。このような態度こそ「YESが聞けない人」です。このような人と関わるのはとても大変で苦労が絶えません。
私たちは、「YES」「NO」をどのように発信するかによって、自分と隣人との関係だけでなく、神様との関係にも影響を与えてしまうものです。私たちは、神様に対しどんな「YES」「NO」を発信しているでしょうか。あるいは、神様からの「YES」「NO」が聞けていないでしょうか。自分自身で吟味してみましょう。
■ こころと魂の健康: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)
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渡辺俊彦(わたなべ・としひこ)
1957年生まれ。多摩少年院に4年間法務教官として勤務した後、召しを受け東京聖書学院に入学。東京聖書学院卒業後、日本ホーリネス教団より上馬キリスト教会に派遣。ルーサーライス神学大学大学院博士課程終了(D.Mim)。ルーサーライス神学大学大学院、日本医科大学看護専門学校、千葉英和高等学校などの講師を歴任。現在、上馬キリスト教会牧師、東京YMCA医療福祉専門学校講師、社会福祉法人東京育成園(養護施設)園長、NPO日本グッド・マリッジ推進協会結婚及び家族カウンセリング専門スーパーバイザー、牧会カウンセラー(LPC認定)。WHOのスピリチュアル問題に関し、各地で講演やセミナー講師として活動。主な著書に『神学生活入門』『幸せを見つける人』(イーグレープ)、『スピリチュアリティの混乱を探る』(発行:上馬キリスト教会出版部、定価:1500円)。ほか論文、小論文多数。