一時期、猿が反省するポーズが大流行した時代がありました。教会でもそのポーズが人々の笑いを誘ったものです。しかし、この「反省」と教会で使われる「悔い改め」との違いを理解している人は意外に少ないようです。まだ、私も若きころ、よくバイブル・キャンプなどに参加しました。その度に見られる現象がありました。それは、バイブル・キャンプの参加者が毎年毎年、悔い改めの祈りをする姿です。悔い改めるのはすばらしいことです。しかし、悔い改めの祈りをしている人たちがほとんど同じなのです。説教者が聞き手に、それも重箱の隅をつっつくように、「これでもか」「これでもか」と悔い改めを求めるのです。また、「あなたはそれで大丈夫ですか」と迫ります。これらは、伝道会や聖会などにも見られる現象ではないでしょうか。いったい、私たちは、どのくらい悔い改めたら赦されるのでしょうか。
反省は悔い改めと違います。私たちは、日常生活の中で人間関係に失敗したり、他者に失礼なことをしてしまったりすることがあります。普段は、冷静に物事に対応し判断して生活しています。しかし、時々その冷静さを失い、感情をコントロールできなくなることがあります。私たちは、無意識の中でコントロールしています。しかし、日常の様々な出来事の中でコントロールが効かなくなってしまい、感情を相手にぶつけてしてしまう経験をするものです。そのとき、高揚した感情は必ず時間の経過とともに低下します。すると、感情のコントロールが開始されます。このコントロールが始まると、「あの時は申し訳ないことをした」と思うようになるのです。そして、「さっきはごめんなさい」となる訳です。この現象は、良心の責めからくるもので、後悔というものです。これが、反省です。
私たちは、バイブル・キャンプや普段の集会で証し、賛美、説教などを通して感情が高揚することがあります。そして、自分の様々な失敗などを思い起こします。その結果、良心の責めからくる後悔が、悔い改めと混同されるケースが少なくないのではないかと感じています(もちろんそうでない人もいます)。キリスト者の寿命が3年と言われる原因の一つではないかと思うのです。
真の悔い改めは、聖霊によるものです。聖霊は、罪と義と裁きについて教えます。そして、神に対して悔い改めが生じるのです。イエスはただ一度だけ、十字架について私たちの罪の身代わりになってくださったのです。私たちの罪は、十字架で決算されているのです。パウロは、それを「認めよ」と言っています。パウロはこれでもかと悔い改めを迫ることはありません。
一般社会の人々や普通のカウンセラーは、罪の概念を取り除くことによって問題を解決しようとします。そして、「私も同じ」「私なんか教会に行っていない」という言葉をもって相対化し対応します。神は、後悔ではなく悔いた心を喜ばれるのです。
かつて、礼拝に熱心に来ていた子どもがいました。しばらくしてあることが問題になったのです。それは、子どもたちが献げた献金を献金袋から盗んでいたのです。そればかりか、教会から家に帰るまでの道中、一軒一軒商店に入り万引を繰り返していたのです。当然、大変な問題になりました。その子どもは一応「ごめんなさい」とあやまりました。しかし、それは皆に指導され、生まれた後悔からでした。その後、他の場所で同じようなことを度々繰り返していたのです。
それから、随分時間(数年)が経過しました。ある日、その彼が自分から進んでイエスを救い主と信じ、自分の罪を悔い改めました。聖霊が罪と十字架を教えたのです。彼は、過去から自由になり、自分の道をしっかりと歩み始めました。今、りっぱな社会人として生活しています。
■ こころと魂の健康: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)
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渡辺俊彦(わたなべ・としひこ)
1957年生まれ。多摩少年院に4年間法務教官として勤務した後、召しを受け東京聖書学院に入学。東京聖書学院卒業後、日本ホーリネス教団より上馬キリスト教会に派遣。ルーサーライス神学大学大学院博士課程終了(D.Mim)。ルーサーライス神学大学大学院、日本医科大学看護専門学校、千葉英和高等学校などの講師を歴任。現在、上馬キリスト教会牧師、東京YMCA医療福祉専門学校講師、社会福祉法人東京育成園(養護施設)園長、NPO日本グッド・マリッジ推進協会結婚及び家族カウンセリング専門スーパーバイザー、牧会カウンセラー(LPC認定)。WHOのスピリチュアル問題に関し、各地で講演やセミナー講師として活動。主な著書に『神学生活入門』『幸せを見つける人』(イーグレープ)、『スピリチュアリティの混乱を探る』(発行:上馬キリスト教会出版部、定価:1500円)。ほか論文、小論文多数。