ありのままとあるがまま⑤
第4章 ありのままを受け入れてあるがままになる時、人は輝く
次に、私が実際に出会ったホームレスのおじさんが、輝く大道芸人に変身した不思議な話をします。みなさんにとって、たくさんのヒントがあると思います。
輝く大道芸人に変身した不思議な友人
10数年前、異業種の会社が集まって交流する会合での出来事です。私はその会合で司会の担当でしたので、講師のお話の前に秋にふさわしい童謡をハーモニカで演奏できたらと考えました。しかし、私の周りには、そのようなハーモニカの演奏者を見つけることはできませんでした。面白い企画だったのに、もう無理かなと諦めかけていました。
会合の前日、心斎橋を歩いていますと、群集の合間から、美しいハーモニカの音が聞こえるではありませんか。急いで音色のする方へ走っていきました。すると地下鉄の入り口のところで、薄汚れた洋服とは対照的に澄んだ音色を響かせている一人の老人が目に留まりました。
「おじさんうまいね。好きな曲をどんどん吹いてみて」とお願いしました。私は、千円札をおじさんの前において、おじさんの前にしゃがみこんで・・・。おじさんは何曲も、私のリクエストに応じてくれました。角の丸まり、少し汚れのまわった演奏曲集を自慢げにめくりながら・・・。
「わしは、美空ひばりが大好きじゃ! 美空ひばりなら何でもふけるよ。実は、美空ひばりのお葬式に東京まで行ってきたんじゃ。美空ひばりは天才じゃ!」「おじさん、東京行きのお金貯めたん!? えらいねー。すごいね!」と感動しました。
歯の抜けたおじさんのうれしそうにハーモニカを吹く顔に目をやりながら、「そうだ、このおじさんに明日の演奏を頼もう」と考えました。
「おじさん、明日私の司会をする集まりで、ハーモニカを吹いてくれませんか?」「いや、いや。そんな大勢の皆さんの前では吹けないよ。わしはホームレスじゃから・・・」「いいや。おじさんは、りっぱな大道芸人ですよ。そう言わずにお願いします」「次の機会にしてくれ」と断ります。
「キューピーさんの前髪みたいなチャンスは、今あなたの前にしかないよ。今だよ。私のスーツも靴もあげるし、食事もおいしいよ。明日来て!!」。しつこく何度も頼みました。するとおじさんが、その会合でハーモニカ演奏をしてくれることを、しぶしぶ承諾してくれました。「でも、演奏終わったらすぐに帰るよ。恥ずかしいからな」とおじさんが言いました。「それでもいいから絶対来てね。明日夕方5時、ここで待っているよ」と私は答えました。
翌日おじさんは約束通り、ハーモニカを片手にとぼとぼと心斎橋の地下鉄の出口にやってきました。少し、元気がなさそうでした。「ありがとう。ありがとう。よく来てくれたね。おじさんはすばらしいアーティストだから大丈夫、大丈夫」と私が言いました。おじさんの緊張を解くために、会合の前に近くの食堂で一緒に腹ごしらえをしました。
会場に入って、ますますおじさんの緊張モードは上がりっぱなしです。100名ほどの会衆と共に、初めは「上を向いて歩こう」「ふるさと」などを和やかに全員で歌いました。私のあげた背広を着て緊張気味のおじさんが、会場の最前列でスタンバイしていました。いよいよおじさんの出番です。
秋にふさわしい「もみじ」「赤とんぼ」など数曲を演奏してくれました。会場はすっかり秋モード。おじさんは乗りに乗って、リクエストしていないのに「村祭(むらまつり)」まで吹いてくれました。そのころには、おじさんのうれしさは満開。体を揺すりつつ満面の笑みでハーモニカを吹いています。背広姿のビジネスマンが、どの顔も笑顔でハーモニカ演奏に聞き入っています。
おじさんからは、「演奏が終わったら、さっさと帰るよ」と言われていました。しかし、演奏が終わった後も、ビジネスマンの話に体を前のめりにして聞き入っていました。その上、立食パーティーにも参加してくれました。パーティーの席では、会場で数人に囲まれてリクエストに応え、首を振り振り精一杯演奏しています。歯の抜けた口でハーモニカをしっかりくわえて・・・。実にうれしそうで、黒い顔に笑顔が一杯でした。会合の終わりになってお客さんがまばらになっても、おじさんはハーモニカを吹き続けていました。
いよいよ会合が完全に終わり、スタッフミーティングをしてから、おじさんを送るために二人で車に乗りました。車の中では、「今日は楽しかった。本当に楽しかった。沢山の人がわしのハーモニカを聞いてくれた」と何度も何度もうれしい思いを伝えてくれました。おじさんが急に手を出して、「田路さん、お前はいいやつだ。お前は、わしの友達だ。親友だ。神様ありがとう」と言いながら目に涙をためて、私の肩を抱いてきました。思わず車を止めて、熱いハグを交わしました。
私も熱いものを感じ、「おじさんこそ、私の友達や!」。出会えたことの喜びが車中に広がりました。そして、出会った地下鉄の階段の方に向かって歩いていきました。それから2週間ほど、あの地下鉄の入り口に行っておじさんを探しましたが、一度も姿を見ませんでした。もしかして、あのおじさんは天使だったのでしょうか?
◇
ハーモニカおじさんは、いかがでしたか? 私も何人かのホームレスの方と会ってお話してきましたが、その多くは、「自分がこんな惨めなままでは、家族のもとに帰れない。何とか成功して立派にならなければ」と、今の自分をありのままに受け入れられなくて、自分を責め続けているのです。まずは今の自分をありのままに、ジャッジしないで受け入れることです。ありのままを受け入れると、一つずつできることが見えてきます。それをやることで自信が生まれ、自分らしい生き方が身に付き始めるのです。
ハーモニカおじさんは、ありのままで、人前で演奏することを決めました。自分の見栄を手放して・・・。見ず知らずの私の言葉を信じ、勇気を出して初めて与えられた舞台で、自分が普段から楽しんでいるハーモニカで精いっぱい演奏しました。自分の演奏で多くの人がこんなにも喜んでいると分かった時に、ハーモニカでもっと人を喜ばせようと自主的で前向きな心が湧いてきたのです。それがあるがままな生き方です。彼は、ありのままを受け入れて、恐れや不安のもとになっているプライドと恥を捨てました。あるがままの生き方は、ありのままを受け入れて一歩踏み出す時に立ち上がるのです。
それでは、普段の生活の中でありのままに気付くと、どうなるのでしょうか? ある高校講師が自律セミナーを受けて後の変化をこう話してくださいました。
私は今まで、問題といわれた男子高校で荒れる生徒たちに、金切り声で「ちゃんとしなさい」と連呼してきました。しまいには、脅しも入れてね。しかし、自分の思考の偏りに気付いて執着を手放す時が来ました。「ちゃんとしないと、ちゃんとしたところに就職できない」と思い込んでいたようです。それは、単なる教師としての立場からの恐れの価値観で、イライラした思いをぶつけていたにすぎないと気が付いたのです。
ありのままの自分を知って受け入れ、それによって気付いた執着ともいえるゆがんだ価値観を手放しました。すると、学生たちに対して余裕みたいな心が湧いて、子どもたちと本心で話していけるようになりました。たとえば、授業前に興奮して息巻いていた学生に静かに近づいて、にっこり微笑んで彼の肩に手を置きました。そして、「元気にあふれているなあ」と優しく声を掛けたのです。今までの私だったら、「授業が始まりますよ、静かに準備して!!!」とがなり立てていたかもしれません。しかしその行動で、彼はふーっと肩の力が抜けて、「先生、分かるか?」と言って静かに座ったのです。また教室の床で寝そべっている学生に、「人生に疲れることもあるよね」と優しく声を掛けると、彼は急にしゃんと立ち上がり、机につきました。何事もうまくいくのです。学生たちもリラックスし、私の授業を楽しんでくれるようになりました。仕事が楽しくなり、次々と彼らを活かすアイデアが私の中から生まれてきました。
今では、社会に出てから役に立つマネージメントを学生たちに教えることにチャレンジしています。本当に気持ちが楽になりました。親子関係も俯瞰(ふかん)により自分の執着を手放せて、よりゆったりとした心で親を愛せるようになりました。
私の言葉の定義
●ありのまま
長所も短所も、過去の傷も成功も、すべてそのままの状態を指し示す。漢字では「有りのまま」と表すように、起こっている事実をいっさいの善悪基準で決めつけずにいること。すなわち、自分のことも相手のことも、起きている事象も自然も、事実のままに見ることです。
●あるがまま
漢字で「在るがまま」と書く。人間には、本来のあり方があり、個々の人間には個々の特性がある。人間の内にある宇宙、そして人間を囲む天と地と人の関係の中にある天からの宝を、そのまま認識できる存在になっていく。自分の中にある偽りを認識し、ありのままを受け入れてみると、本来の姿が立ち上がってきます。それをあるがままといいます。
●手放し
人をジャッジして分けへだてる私だけのルール、時には偏見とも色メガネとも言いますが、それに気付いてリリースし、リセットする状況を指します。行動から存在に移る瞬間です。
●自律
人は、生まれながらにして、家系の文化からくる価値観、社会の価値観、他者の価値観に縛られています。価値観に縛られると、気になる、恐れる、イライラするなどの行動にいびつさが表れます。高じると、許せない、恨む、憎む、呪うといったブラックな思いにコントロールされます。縛られた価値観に気付いて手放し、あるがままになって、自分の価値によって魂の自由を味わっていく生き方を指します。
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田路俊章(たじ・としあき)
1953年生まれ、大阪育ち。オーサカ・ユニーク株式会社前社長、ラジオ大阪「VIPアワー」パーソナリティー(2005年11月~07年3月)、経済産業省登録コンサルタント、CBMC理事(2000年、国家朝餐祈祷会を発起)、VIP関西発起人兼元副会長。2015年2月、経営と家族のコンサルタントとして株式会社家族授業を設立。