いとも簡単に経済破綻をもたらすものに、アルコール中毒、麻薬、ギャンブル、保険に入っていない交通事故などがある。私の父は人格的には問題がなかったのに、アル中だったので、家族全員が極貧状態を経験させられた。私が酒を飲まない最大の理由は、アル中にならないためだ。でもギャンブルの破壊力は、もっとひどい。知人のご主人は仕事もせずに毎日パチンコに行く。儲かる時もあれば損をする時もあるが、パチンコは店が儲かる仕組みになっているので、回数を重ねれば必ず損をすることになる。彼は月平均40万円を使い込んでしまうので、彼女は決して望ましいとは言えない仕事をせざるを得ない。最近連絡が取れなくなってしまったので、離婚したに違いないと思っている。競輪・競馬などのギャンブルで家を失ったり、公金を横領したりしてしまう事件が絶えない。私は経済的破壊力を持つギャンブルが嫌いだ。「公営ギャンブル」が存在すること自体が理解できない。
同じハイリスクハイリターンの中に、「投資」というのがある。私は投資に3度も失敗し、辛い日々を体験した。投資に失敗し、家も土地も失った人もまわりに何人かいる。家族にまで見捨てられた人もいる。そのような状況を見ると、投資とギャンブルの違いがわかりにくくなる。実際、投資はギャンブルであり悪いことと決めつけている人も大勢いる。もしそうであるなら、聖書にも投資を禁じる話が一回くらいは出て来ても良いはずだが、禁じられているどころか、イエス・キリストは御国の奥義を説明するのに、しばしば「投資」のたとえ話をしている。宝の埋まっている土地を買うために持ち物を全部売り払ってしまった人や、すばらしい真珠を1コ買うために全財産を手放した人の話が出てくる(マタイの福音書13:44、45)。また小さな投資が大きなリターンとなる話として、良い地に落ちた種や、ちいさなからし種、パン種の話も出てくる。これらの投資のリターンは100倍、60倍、30倍となる。イエスは弟子たちに、自分の命まで投資するようにと言われた。
では、投資とギャンブルの違いは何だろうか。類似点はリスクであるが、顕著な違いは、ギャンブルは誰かの損失の上にのみ成り立つ仕組みなので、儲かる人がいる裏に、それ以上に失ってしまった人が必ず存在する。誰かの破綻が前提となっているシステムは悪である。でも投資は、誰かの破綻が前提にはなってはいない。むしろ誰かをサポートする仕組みだ。投資をする人がいないと、世の中の経済は前進しない。
私の知人Elizabeth Elliotは、想像を絶する投資をした。ご主人はアマゾンの奥地で宣教活動を開始しようとしたやさきに、アウカインディアンに殺されてしまった。それだけでも大きな命の投資だったのに、何と彼女は別の婦人宣教師(その人は同じ事件で兄を失っていた)と共に、再度その地に戻った。これほど大きな投資があるだろうか。その結果、Elizabethのお嬢さんは十数年後、父を殺した人物から、洗礼を受けることとなった。
■ 富についての考察:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)(22)(23)(24)(25)(26)(27)(28)(29)(30)(31)(32)
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木下和好(きのした・かずよし)
1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。