正木弥
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
ユダヤ教とキリスト教は同じ源流を持ちます。同じ唯一の霊なる神を信じ、同じ歴史を持ち、同じ預言者を持ち、同じ旧約聖書を経典とします。ですから、旧約の時代(BCの時代)は一つのものです。
およそ真理というものは排他的です。真理を得るためには、相対立する多くのものの中から正しいものを選択し、誤りのものを捨て去るという作業がなされねばならないからです。それをせずに、何でもいいというのは真理を軽視する態度だと言わねばなりません。
日本人にとって先祖供養が宗教そのものになっているようですが、ここは冷静に考えてみましょう。聖書では、族長アブラハム以来、先祖を大切に扱い、墓に葬ることも大切にしました。出エジプトの際、モーセは先祖ヨセフの遺骸を携えて出ました。
キリスト教がよって立つ聖書は、神の言葉と言われるとおり、間違いなく良いものです。この聖書にきちんと立っている限り、キリスト教は良い宗教だといえます。
各自の信教の自由がありますから、どの宗教でないといけないということは無論ありません。「蓼(たで)食う虫も好き好き」といいますから、自分の好みによって選んでください。その選んだ宗教によって安心して、喜んで、希望を持って生きられるなら結構です。
いくつかの良さそうな宗教の良い点を集め、逆に欠点は取り除く、そんな宗教が一番いいんだ。これは、宗教の実際面(運用)と教理の良しあしを混同した議論です。どんな偉大な宗教も、信徒の心得違いによって“失敗”や“悪しき事例”が出てくるものです。
キリスト教とほかの宗教との違いは何か。大きな違いは次のような点です。(1)キリスト教が世界最古の、最長の宗教であることです。キリスト教には、旧約の時代と新約の時代があり、人類の始祖アダム以来少なくとも数千年の歴史を持っています。
他の宗教の教祖は、ある真理を悟った偉い人ではあるでしょうが、結局は、一個の人間です。釈迦、孔子、マホメット、ゾロアスターなど、みな、死んで、それっきりです。まして、新興宗教の教祖の中には、清くない人、いかがわしい人もいます。
仏教はインドで生まれ、中国、朝鮮を経由して日本に“渡来”したものです。鎌倉時代以後、かなり日本化しましたが、それでも基本はインドの釈迦にあり、北西インドの“龍樹”らによる大乗仏教にあるわけです。
“瓢箪(ひょうたん)から駒”という言葉がありますが、この紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』もそうです。まだの方はぜひご覧ください。内容は、運よく生きてきた海野良彦さんに起こった重大な出来事のお話です。あとは見てのお楽しみ!
人の人生にはさまざまなものが必要です。飲食物から衣類、住居そして健康の維持、病気回復さらには家内円満、商売繁盛・金運招来、最近では交通安全とか受験合格など・・・このようなものを願い、約束するものを、ご利益宗教とかご利益信仰といいます。
まず、個人レベルの問題を一般的に述べますと、他の宗教はいざ知らず、キリスト教を信じる者に、格別に争いが多いとは思っていません。なぜなら、新約聖書は次のように平和な対人関係を結ぶよう教えているからです。
確かに宗教が、現世御利益に終始したり、儀式中心であったりするときは、その通りでしょう。また、自分の身辺がにぎやかで、順調に行っているときは、その通りでしょう。
「宗教は大体がロクなものがない。だから、そんなものに関わらない方がいい」。そうです。宗教はそう言われても仕方のないものがほとんどです。“ロクなものがない”とおっしゃるので、そのロクでない宗教を6つ挙げてみましょう。
「宗教は結局、僧職者が教理と組織で人を支配しようとするものではないのか」。日本の伝統的宗教などを見ていると、特にそのような印象を持たれても仕方がないのでしょうか。
宗教といってもさまざまですが、中には、悟りによる心の平安を求める人も、現世ご利益を願う人も、落ち着ける共同体を探している人も、あるいは、精神修養により自分を強くしたい人もいます。
大部分の宗教は、科学についてあまり語りません。だから、矛盾だ何だの問題は起こりません。しかしキリスト教は、単に人間の心の問題だけでなく、人間を取り巻くすべての世界とその事象を取り扱い、(要点だけではありますが)説明します。
確かに、“人を狂わせる”、“人を愚かにする”、そんな側面をもつ宗教もあります。そのような宗教にのめり込んで、財産を失ってしまったり、人生をめちゃめちゃにされてしまったり、そんな人の話を時々耳にします。
宗教は本来、人間の思索・哲学を超える深い真理や神秘的な事柄に立って、主として人生を、ときに社会や民族の歩みを導くものです。その深さ・神秘性の故に一時期一地方に住む人間から見て、その正邪・善悪の基準からはみ出ることが皆無とはいえません。
確かにそのような宗教が多いですね。右の図のうち、Aの型です。人間が求めるのですから、人間に向いた真理を探り出すのは当然です。すると、そのような宗教は、人間が考え出したかのように見えても不思議ではありません。