ヨハネ書《黙想・観想ノート》
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ヨハネ書Ⅲ《黙想・観想ノート》真理に歩んでいる・ヨハネ第三書1~15 村瀬俊夫
ヨハネ第三書も、ヨハネ第二書と同様、普段はほとんど説教されることも、学ばれることもありません。しかし、ヨハネ第一書を学んできた勢いで、第二書に続いて第三書も学ぶことにします。
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ヨハネ書Ⅱ《黙想・観想ノート》真理と愛のうちに・ヨハネ第二書1~13 村瀬俊夫
ヨハネ第一書の学びを終えたので、この機会に、あまり触れる機会のない第二書と第三書も扱いたいと思います。第二書は、わずか13節の短い手紙で、説教で取り上げられることも滅多にありません。著者は、冒頭に「長老から」とあるように、自分のことを「長老」と呼んでいます。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(20)真実な方の内にいる恵み・ヨハネ第一書5:18~21 村瀬俊夫
本書の結びである最後の箇所で、これまで述べてきたことを要約しています。その要約には、キリスト者としてのアイデンティティーを確立させようとするねらいがあります。アイデンティティーという言葉を広めたのは、アメリカの心理学者エリクソンです。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(19)願いを聞いてくださる神・ヨハネ第一書5:13~17 村瀬俊夫
本書の執筆目的が随所に見られる中、ここの13節にも「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです」と記されています。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(18)信仰は世に勝つ勝利・ヨハネ第一書5:6~12 村瀬俊夫
本書が書かれた時代は、イエス様が世を去ってから数十年以上も経過していました。その間に、イエス様についての受け止め方や理解をめぐって、いろいろな主義主張が展開されました。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(17)信仰は世に勝つ勝利・ヨハネ第一書5:3~5 村瀬俊夫
3節に「神を愛するとは、神の命令を守ることです」とあるように、神を愛することが具体的に示されるのは神の命令を守ることによります。神の命令を守ることによって、神を愛することが具体的に示されるからです。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(16)神の愛に答える兄弟愛・ヨハネ第一書4:19~5:2 村瀬俊夫
本書の4:7以下は、神の愛について教えている有名な箇所で、福音の真理が[聖書の中でも]一番明確に示されている箇所の一つでありましょう。ここで第一に勧められているのは、「互いに愛し合いましょう」という勧めです。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(15)愛は恐れを締め出す・ヨハネ第一書4:17~18 村瀬俊夫
17節冒頭にある「このことによって」は、16節後半に「神は愛です。愛の内にいる者は神の内におり、神もその人の内におられます」と言われていることを受けています。神は愛ですから、神が私たちと共におられるなら、私たちは神の愛の内にいることになります。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(14)愛の内にいる者の祝福・ヨハネ第一書4:13~16 村瀬俊夫
キリスト教の三大祝祭日の一つにペンテコステ(聖霊降臨祭)があります。ペンテコステは「50日目」を意味するギリシア語で、イースターから50日目に約束の聖霊が待ち望んでいた人々に降臨し、彼らは大胆に福音を語り始め、エルサレム教会から世界宣教が開始されました。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(13)私たちに示された神の愛・ヨハネ第一書4:9~12 村瀬俊夫
前回学んだように、私たちの神は愛の根源であり、愛を本質とするお方です(7、8節)。この「愛」は行為を伴うもので、愛はいつも行為と共にあります。愛は行為そのものである、と言ってよいでしょう。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(12)愛の根源である神・ヨハネ第一書4:7~8 村瀬俊夫
「真理の霊」は私たちを恐れから解放し、私たちの心に神の愛を豊かに注いでくれます。それに対して「偽りの霊」は、私たちに恐れと不安を与えます。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(11)真理の霊と偽りの霊・ヨハネ第一書4:1~6 村瀬俊夫
「愛する者たち」という呼び掛けは、「愛されている者たち」と訳すのが正確であり、もちろん「神様に愛されている者たち」という意味です。神様に愛されている者は、イエス・キリストを告白しています。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(10)大胆に神の御前に出る・ヨハネ第一書3:18~24 村瀬俊夫
私たちは神の子どもと呼ばれるだけでなく、事実、今神の子どもなのです。その恵みは測り知れないほど大きいものですが、その第一は、小さい子がお父さんやお母さんに大胆に近づいていくように、私たちも神の子として大胆に神の御前に近づけることではないでしょうか。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(9)私たちに愛がわかった・ヨハネ第一書3:11~17 村瀬俊夫
私たちが神の子どもと呼ばれるために、神が「どんなにすばらしい愛を与えてくださった」かを、私たちに一番はっきりと、また最高度に示しているのは、イエス・キリストの受難と復活の出来事です。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(8)神から生まれた者・ヨハネ第一書3:4~10 村瀬俊夫
この手紙が書かれた目的について、筆者は「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです」(2:1)と明言しています。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(7)今すでに神の子どもです・ヨハネ第一書2:28~3:3 村瀬俊夫
前回の箇所から学んだように、私たちがキリストから注ぎの油を受け、キリストのうちにとどまっているなら、「いま私たちは神の子どもです」「今すでに私たちは神の子どもです」(3:1、2)ということになります。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(6)聖なる方からの注ぎの油・ヨハネ第一書2:18~27 村瀬俊夫
この手紙が書かれたのは1世紀の終わり頃です。それから1910年余り経過していますが、この箇所の始めの方で「今は終わりの時です」と言われています。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(5)世に打ち勝った者として・ヨハネ第一書2:12~17 村瀬俊夫
この段落の前半(12~14節)で、著者はキリスト者である読者に、彼らがどんなに素晴らしい恵みを受けているか、世に対してどれほど優位に立たされているか、ということを示しています。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(4)光と闇、愛と憎しみ・ヨハネ第一書2:7~11 村瀬俊夫
この箇所の冒頭にある「愛する者たち」という読者たち(あるいは聴衆)への呼び掛けは、ギリシア語「アガペートイ」の訳語ですが、正確に訳すなら「愛されている者たち」です。
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ヨハネ書Ⅰ《黙想・観想ノート》(3)罪を犯さないようになるため・ヨハネ第一書2:1~6 村瀬俊夫
ここで著者は、読者たち(あるいは聴衆)に「私の子どもたち」と親しく呼び掛け、この手紙が書き送られた目的を述べています。そのことについては、すでに1章3節に「あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです」と言われ、さらに5章13節で「あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたにわからせるためです」と述べられています。
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