不条理なる死を不可知の光で中和せよ
-
犬も歩けば棒に当たる的な(その1)
私は船が苦手である。とはいえ、船旅は人生で何度か経験してきたわけであるが、神戸から松山までフェリーで一晩揺られたのが最長記録ではないかと思う。それが25歳の時だった。相当に大きな船で、恐らく1万トンくらいはあったはず。
-
なんちゃってキリスト教外論 多元宇宙論について
われわれの宇宙は多元である。これを多元宇宙(マルチバース)論という。早い話が、われわれが知っている宇宙というのは、ものすごくたくさんある宇宙の「一つにすぎない」ということである。
-
義はゴールではない ローマ書5章考察(その4)
神を超えるのが人間の理想である。故にニーチェは偉いと思う。目標は高くあるべしだ。ところが、悲しいことに神を超えるといえども、その神がどれほどの高みにおられるのかについて、何とも人間は無知なのだ。分かっているようで、実は全く分かっていない。
-
義はゴールではない ローマ書5章考察(その3)
どういう経緯だったかは分からないとしても、ローマではかなり早い時期からキリストへの信仰を持ったグループがあったのだ。もちろん、パウロよりもずっと早く入信した人がいたであろうことも想像すべきことだ。
-
義はゴールではない ローマ書5章考察(その2)
「イエス・キリストによる神との平和」が、われわれに希望を与えるとパウロは言う。神との平和とは、何ともつかみようのない言葉ではある。私が思うに、真のグレイトな人間というのは、神との平和よりも、神に打ち勝つことを目指すのではないか。
-
義はゴールではない ローマ書5章考察(その1)
わが誇りはいずこにありや――。私は「グレイト」な人間になりたいと願っている。「ビッグ」ではなく「グレイト」である。大きいだけでは意味がないのだ。ダントツで褒めたたえられる人間になりたいのだ。自分磨きとはそういうものではないか。
-
ちょいとヤバイ話をしようと思う(その3)
聖書の教えに反しているという諸々のことについては、その気になれば、いくらでも言い訳が可能であるが、それでよいのかという気もする。というのも、聖書を読みながら言い訳を考えるとしたら、そもそも聖書の教えを重んじていないのだろう。
-
ちょいとヤバイ話をしようと思う(その2)
「神を知りながら、神をあがめることも感謝することもせず」(ローマ書1章21節)とパウロは述べているのであるが、現代人としてどのように反論すべきだろう。「神の永遠の力と神性は被造物に現れ」(同20節)ているとパウロは説明する。
-
ちょいとヤバイ話をしようと思う(その1)
神について知り得る事柄は、つまり神の力と神聖(神性)は被造物に現れているのだから、われわれ人間もまたそれを知り得るのであり、「私は神を知りませ〜ん」という弁解はできないというのがパウロの言い分であるような気がする。
-
命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その3)
命の木はどこに行ったのか。せっかくエデンの園に植えられたものだ。それは「神の命」を象徴しているものだから目に見えなくてよいのだ。と言ったら逃げになるだろうか。もしもわれわれが、命の木に手を伸ばしたら神の主権を侵害してしまうことになるから、考えるに及ばないことなのだろうか。
-
命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その2)
命と知識、どちらを尊び、どちらに手を伸ばすべきか。問い方を変えよう。知識がないと命は危ういか。そりゃそうだろう。この世で命を保っていくためには知識が必要である。
-
命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その1)
人間は死ぬ。のだろうと思う。死ななかった人間はいないというのは事実なんだろうが、今生きている人間もいずれ死ぬという前提は、実は生物学的な予測にすぎない。とはいえ、恐らくその予測は当たる。
-
貧しさとは何であるのか(その3)
全くの偶然だった、とは言い難いのであるが、とにかくイエスの生前葬は行われたのだ。恐らくマリアはその時が来るのを待っていたのである。そのために高価な香油をたくさん蓄えていた。塗油は古くから行われている行為で、伝統教会では今も行われている。
-
貧しさとは何であるのか(その2)
イエスが貧しい人々と共にあろうとしたというのは、事実だと思う。その「貧しさ」とは、お金がないことを意味することはもちろんであるが、お金といっても、それはいわゆる現金という意味ではなく、今日を生き延びるために必要な何かということであろう。
-
貧しさとは何であるのか(その1)
今回取り上げるのは、イエスの葬りについてである。ベタニアでの会食と、それに続くマリアの塗油が意味することを考えてみたいと思う。そうではなく、考えたいのは、イエスを葬るということがわれわれにとって何を意味するのか、である。
-
詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その4)
イエスは、詩編22編の言葉を口にしながら息を引き取った。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27章46節)。これは、詩編22編2節にある言葉である。
-
詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その3)
詩編24編に、「城門よ、頭を上げよ。とこしえの門よ、身を起こせ」という言葉が繰り返されているが、「うなだれた城門」と表現すれば、これは現代人の姿と合致するかもしれない。
-
詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その2)
「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑(くず)、民の恥」(詩編22編7節)。こんな言葉は簡単には書けないものだ。せいぜいが心の中で思い浮かべるくらいである。まあ、口にすることはあるかもしれないが、文字として残すのは遠慮したい。
-
詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その1)
どういうわけか、われわれ人間は言葉を持っている。それは神の創造の初めからそうなのだ。人間は自身の言葉によって神に応答することができた。神が「お前はどこにいるのか」とアダムに問うたとき、彼は彼自身の言葉で答えることができたのである。
-
「え、神の名前?」(夏の番外編)
「マスク警察」なる言葉を考案した人は誰であろうか。なかなかセンスがある。2023年の文脈であれば、それが何を意味しているのか大体は分かる。ところが、それが2018年ならどうだろうか。その意味するところは全く自明ではなかったはずである。
人気記事ランキング
-
【ペンテコステメッセージ】クリスチャンの力の源泉である「聖霊の満たし」 篠原隆
-
米南部バプテスト連盟で教勢回復の兆し 「神が働いていることを疑う余地ない」
-
国家のためにクリスチャンが心を一つにして祈りを 神戸で2回目の「日本国家祈祷会」
-
イスタンブール・シリアニー正教会への訪問旅行記(4)現地のシリア語を学習する4 川口一彦
-
テレビ伝道者ベニー・ヒン氏が「二大後悔」明かす 「繁栄の神学」の間違いを再度認める
-
日本人に寄り添う福音宣教の扉(198)「キリスト教葬儀拡大展開に向けて」10周年記念セミナー開催! 広田信也
-
異邦人の奥義 穂森幸一
-
能登地震で教会堂全壊、日本基督教団輪島教会が仮設礼拝所 ペンテコステから礼拝開始
-
髙祖敏明神父が旭日重光章を受章 上智学院元理事長、聖イグナチオ教会主任司祭
-
日本福音ルーテル教会、岡正治牧師の性加害受け声明 「自らの罪として重く受け止め」
-
テレビ伝道者ベニー・ヒン氏が「二大後悔」明かす 「繁栄の神学」の間違いを再度認める
-
NCC靖国神社問題委、首相の真榊奉納、閣僚2人の参拝に抗議
-
日本福音ルーテル教会、岡正治牧師の性加害受け声明 「自らの罪として重く受け止め」
-
聖路加チャプレン性加害事件2次加害訴訟、被害女性が意見陳述 院内集会で牧師らが発題
-
日本のゴスペル界から総勢650人が参加 映画「雨ニモマケズ」、2025年公開
-
国家のためにクリスチャンが心を一つにして祈りを 神戸で2回目の「日本国家祈祷会」
-
東京基督教大学、2025年度から「総合神学科」を「神学・国際教養学科」へ
-
立教学院が創立150周年、感謝礼拝で創立者ウィリアムズ主教の出身神学校学長が奨励
-
ジーザスと私(13)これでは元も子もない 桜井知主夫
-
英国の著名福音派伝道者、同性カップルの祝福認めた英国国教会を脱退
-
クリスチャン詩画作家の星野富弘氏死去 頸髄損傷で体不自由に、口にくわえた筆で創作
-
テレビ伝道者ベニー・ヒン氏が「二大後悔」明かす 「繁栄の神学」の間違いを再度認める
-
日本基督教団、聖路加チャプレン性加害事件の被害女性に回答書
-
NCC靖国神社問題委、首相の真榊奉納、閣僚2人の参拝に抗議
-
ピアニストでカトリック信者のフジコ・ヘミングさん死去、92歳
-
加藤常昭牧師死去、説教塾を主宰 日本基督教団隠退教師
-
日本福音ルーテル教会、岡正治牧師の性加害受け声明 「自らの罪として重く受け止め」
-
日本のゴスペル界から総勢650人が参加 映画「雨ニモマケズ」、2025年公開
-
北海道キリスト教書店が2024年度で閉店、店舗営業は10月末まで
-
聖路加チャプレン性加害事件2次加害訴訟、被害女性が意見陳述 院内集会で牧師らが発題