不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(65)
※ 前回「義はゴールではない ローマ書5章考察(その2)」から続く。
ローマはグレイトであるが、人々はグレイトではない
どういう経緯だったかは分からないとしても、ローマではかなり早い時期からキリストへの信仰を持ったグループがあったのだ。もちろん、パウロよりもずっと早く入信した人がいたであろうことも想像すべきことだ。そういう人々に向かって、かつてアンチキリスト教でブイブイ言わせていたパウロがあいさつ状を出すというのも、これは相当に勇気が必要であっただろう。
ローマ書の核心は、パウロとローマの信徒との間における信仰の共有ということであったと思う。なので、それらしいことをいろいろと書いてはいるが、故に手紙の中心は律法の解釈ではなく、「お互いにキリストへの信仰によって神に生かされていきましょう」ということであろう。とはいえ、ローマの信徒がユダヤの律法をどれほど重要視していたのかは疑問があるので、むしろ律法を重視しない者同士であるから、パウロにとってローマの信徒は対話しやすかったのではないだろうか。
既に国家としてグレイト化していたローマであるが、そういう国の首都で生きるのはどういう気持ちであろうか。もちろん、個々人みんなが幸せに満ちているということはありえないわけで、逆にいうと、どれほどの人が恵みに満ちた生活をしていたのだろうかと考えてしまう。
ローマの外観
整備をされた大都市ローマは、その姉妹都市を世界各地に建設したのであったが、そこでは上下水道、公衆浴場が行き届き、水洗トイレまで完備されていたらしい。ブリテン島に進出していた時代には、ハドリアヌスの長城が有名であるが、何とその見張り所にまで浴場を設置していたというのであるから、ローマ人の意識の高さには驚かされる。人生において一度たりとも入浴経験(水浴びという意味ではなく)がなかったであろうガリア人を、ローマ人が野蛮人として嫌悪していたのも何となく納得させられる。正当化はできないが、文化的に相いれない違いというものは、なかなか乗り越えられない。とはいえ、ローマ崩壊後の西ヨーロッパの主役はガリア系の人々であったのは、何とも歴史の皮肉ではある。
ローマの文化は確かに優れていたのではあるが、だからといってローマ市民が幸多い生活をしていたというわけではない。治安は悪かったらしいし、何せほとんど誰も働く気がないのがローマ市民だったらしく(ちょっと誇張気味に書いたが、基本的な生活が保障されていたという意味)、大抵は飲んだくれて一日を終えていたらしい。主に働いていたのは、外国からの出稼ぎ者か奴隷である。
一般市民はちょっと働けば生きていけるのだが、上積みを期待するのであれば、貿易を営むか、政治家になるか、行政官(高級官僚は基本的に選挙で選ばれる)になるか、あるいは家族のためにわが身を奴隷として売り払うか、などだ。パンとサーカスは支給されるから、酒を飲むために少しだけ働く。酒を飲んだら愚痴かけんかの繰り返し。病気になっても基本的に放置されるしかない。
グレイトの前提として
都会生活はどうも古今東西、結構ストレスのたまるものである。多くの人が憧れるが、一歩足を踏み入れると失望も多いのだ。一般市民も貴族階級も人間としては善し悪しありきだ。結局のところ、私のようにグレイトになりたい人間はいろいろと無理をして、ほとんど例外なく失敗するであろう。
スキピオ・アフリカヌスという人物は、カルタゴとの戦争における大英雄であり、生きているうちから神格化されたグレイトな人間であったが、政治的には失脚してかなり失意の中で死んでいる。カエサルも同じだ。暗殺されて終わり。大成功したグレイトな人間も、名を残したがどうも幸せそうにない。やはり恵み深い人生を大満足して終わらないと、真のグレイトじゃないように私は思うのだ。
であるなら、ある程度は満ち足りた人生の終わりを迎えてこそのグレイトともいえる。まあ、最後の最後は誰しも死ぬのであるが、失意を持って人生の終わりを迎えるのだけはご勘弁と言っておく。というわけで、望みある人生を生ききるということを、とりあえずグレイトの基本事項と定義しておく。とはいえ、立身出世に望みを置くのも一つの生き方ではあるが・・・。
さて、いつもの連載と同じようにここまでが話の前提だ。結局のところ、人生の価値というのは、最終的には精神性に関わってくる。精神性ということであれば、文化的価値か宗教的価値ということになろう。次回は締めくくりとして、当然のごとくキリスト信仰との関わりについて語ることにしよう。(続く)
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