人が新しい仕事や企画を展開しようとする時、大きなお金を動かす人もいれば、自分の財布事情に合わせて小さく始める人もいる。でもいくらだったら「大金」なのかという話になると、分からなくなる。大金の基準が相対的であるからだ。
小額でも大金であるという話が聖書に出てくる。貧しいやもめが、レプタ銅貨2つ(現在の日本円で200~300円程度)を献金するのを見たイエスは「この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れた」と言って、彼女を誉めた(ルカ21:2、3)。全財産をささげたやもめの勇気と献身は、見上げたものである。でも彼女の行為を尊重するあまり、大金の概念がグッと低くなる可能性がある。ある牧師は、さほど貧しくもない婦人が毎週献金箱に5円玉1枚を入れると嘆いていたが、彼女にしてみれば、こと献金に関しては、5円以上は大金なのかもしれない。
「小事に忠実な者は、大事にも忠実である」という言葉があるが、聖書の中に御国のたとえ話としてそのような話が出てくる。主人が3人の僕にお金を預け、彼らがそのお金をどのように使ったかを確認するという話である。賢い僕に関してマタイ25:16は “The man who had received the five talents went at once and put his money to work and gained five more. (5タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに5タラントもうけた)” と言っている。ここでの “talent” はお金の単位のことで、後に英語では「才能」を意味するようになった。ところで1talent は約6千デナリで、1デナリは労働者の日当だったから、6千日分の賃金に相当する。現在社会に当てはめると、日当 1万5千円として1タラント≒9000万円ということになる。それで5タラント預かった僕は、4億5千万円を運用したことになる。これは相当な金額だ。今日の社会で4億5千万円を自由に使える人はそんなにいないだろう。その僕はその元金を使って、同額の4億5千万円の利益を上げたことになる。実は、その僕に対する主人の言葉が、非常に衝撃的である。主人は “You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. (あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう)” と言っているのだ。「4億5千万円」が「わずか」なのだ。
われわれは「大金」の概念を低めてしまっているのではないだろうか。大金の基準が低ければ、夢の大きさ、チャレンジの大きさも小さくなってしまう。最悪の場合、「何もしない」ことになる。このたとえ話の中で、お金を地中に隠し何もしなかった僕に対して、主人は「この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい」と言った。このタラントの話によると、われわれは誰も、まだ大金を扱ったことがない。今精一杯やっていることは、全て「小事」なのだ。そして「小事」に忠実でないと、「大事」はやって来ない。
■ 富についての考察:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)(22)(23)(24)(25)(26)(27)(28)(29)(30)(31)(32)
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木下和好(きのした・かずよし)
1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。