心中を止めた神の手
こうして一年ばかりたち、私は6歳になりました。相変わらず家族の生活は苦しく、食うや食わずの毎日でした。借金の返済のめども立たず、子どもたちに満足な食事も、きちんとした身なりもさせてやれないということは、両親の心を絶望でいっぱいにしたようです。いつからそういうことを考え始めたのか分かりませんが、2人はいつしか一家心中ということを話し合うようになったのでした。
「なあ、おまえ、こんなことをしていても、借金は返せる当てがないし、子どもたちを飢え死にさせてしまう。いっそのこと家族みんなで死んでしまおうか」「わたしもそう考えていたんですけどね。でも、わたしたちはそれでよくても、子どもたちには将来があります」「だが、このまま今の生活を続けていても、どっちみち子どもたちを飢え死にさせることになるよ。ひもじい思いをさせて、苦しみながら死んでいくのは、あまりにもむごいじゃないか」
母はそれ以上何も言わず、涙をこぼしていたそうです。私たちは子どもだったから、両親がこんなせっぱつまった話をしているなどとは思ってもいませんでした。
そんなある日のことです。父は今まで食べたことがないような高級なケーキを買ってきました。実はそれが最後の食事だと考えたようですが、もちろん子どもにはそんなことは分かりません。私たちはケーキをおなかいっぱい食べて満足しました。それから、家族そろって近くの公園に遊びに行くことになりました。
そこで姉と私、そして弟の3人は駆け回ったり、ブランコに乗ったりと遊び回りました。その間、両親といえば、ベンチに座り、密かにどうやって死のうか――と、あれこれ考え、話し合っていたのでした。そして、そろそろ結論が出かかったそのときでした。思ってもみない出来事が起こったのです。
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荘明義(そう・あきよし)
1944年中国・貴州省生まれ。4歳のときに来日、14歳で中華料理の世界に入り、四川料理の大家である故・陳建民氏に師事、その3番弟子。田村町四川飯店で修行、16歳で六本木四川飯店副料理長、17歳で横浜・重慶飯店の料理長となる。33歳で大龍門の総料理長となり、中華冷凍食品の開発に従事、35歳の時に(有)荘味道開発研究所設立、39歳で中華冷凍食品メーカー(株)大龍専務取締役、その後68歳で商品開発と味作りのコンサルタント、他に料理学校の講師、テレビや雑誌などのメディアに登場して中華料理の普及に努めてきた。神奈川・横浜華僑基督教会長老。著書に『わが人生と味の道』(イーグレープ)。