臼田宣弘
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
今回は、12章1~11節を読みます。エルサレム近郊のベタニアでラザロを復活させた後、ユダヤ人たちに付け狙われるようになったイエス様は、エフライムという町に避難していましたが、再びベタニアに戻りました。そこで復活したラザロと再会したのです。
ユダヤ人の多くは、イエス様がラザロを復活させたことを見て、イエス様を信じました。これまでヨハネ福音書が伝えていたユダヤ人たちは、イエス様に敵対する人たちか、イエス様のなさった奇跡を見て、その超人的な力に対しては信仰を持った人たちでした。
今回は、11章36~44節を読みます。前々回、マルタは「終わりの日の復活」は信じていたが、イエス様は「私は復活であり、命である」と言われ、復活と永遠の命を与えることを「今」実現される方だとお伝えしました。
今回は、11章28~35節を読みます。前回お伝えしましたが、イエス様に対して「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています」という信仰告白をしたマルタは、一旦家に戻りました。
今回は、11章17~27節を読みます。前回、イエス様が「ラザロは死んだのだ」と言われたことをお伝えしましたが、いざベタニアに着いてみますと、果たしてラザロは墓に葬られて4日たっていました。
今回は11章1~16節を読みます。前回お伝えしたように、この「ラザロの復活」のお話は、人々の心の中に存在していた洗礼者ヨハネが、生前のイエス様の最後で最大のしるしを指し示すことから始まります。
今回から8回の予定で、「ラザロの復活」をお伝えします。このお話は、ヨハネ福音書の中でも最も愛されているものの一つであり、世界の美術や文学に影響を与えているお話です。
今回は、10章30~39節を読みます。ここは、教父といわれる人たちが、キリスト教の確立のために議論をしてきた箇所です。「神とキリストは、違う主体でありながら、同一である」というキリスト教のアイデンティティーを示すときに、最も重要な箇所です。
今回は、10章19~30節を読みます。盲人の目を開けられたイエス様は、その後に羊と羊飼いを中心にした例え話を語られました。その話を聞いていたユダヤ人たちの間に、対立が生じることになります。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。また、1日に発生した能登半島地震で被災された方々にお見舞いを申し上げます。特に、被災地の教会がこのような中にあっても福音を伝え続けることができますようにお祈りいたします。
クリスマスおめでとうございます。聖書に伝えられるクリスマスの記事の中で、最も印象的なものの一つは、ベツレヘム郊外の羊飼いたちの所に、イエス様の御降誕が伝えられた出来事ではないかと思います。羊飼いたちは、当時は良い地位ではなかったようです。
今回は、9章1~7節と35~38節を読みます。1~7節については第33回でも一度お伝えしましたが、8章12節以下の「私は世の光である」というメッセージに関連してのみでしたので、今回再度取り上げ、詳述したいと思います。
今回は、9章24~34節を読みます。前回は、8~23節について、ヨハネ福音書が書かれた紀元80年以後に回心したある信徒の話であるという視点で執筆しました。今回はその続きですので、舞台は前回と同じ紀元80年以後のある町とします。
今回と次回は、そういったヨハネの時代の教会の出来事が反映されているという観点から、執筆したいと考えています。そしてその中で、ヨハネの時代の教会の出来事が反映されていると考える理由についても述べたいと思います。
ユダヤ人たちとイエス様の議論は続きます。ユダヤ人たちを非難していたイエス様に対して、彼らは「サマリア人」「悪霊に取りつかれている」という2つの「レッテル張り」をします。
同じ「イエス様を信じる」ことではあっても、そこに信仰の差異を読み取れると思います。ヨハネ福音書は、このように登場人物たちの信仰をさまざまに伝えることで、読者の信仰を最善の位置に到達させようとしているように思えます。
今回は8章21~29節を読みますが、その前に、旧約聖書の出エジプト記3章1~15節に記されている、イスラエルの民がエジプトにおいてとらわれていたときの話である「モーセの召命」についてお伝えします。
聖書に見られる光に関する記述の中で、私にとって一番印象的なのは、エジプトを脱出したイスラエルの民を、夜になると火の柱が導いたと書かれている箇所です。幼い頃からこの話を聞くと、心がウキウキと躍ったことを覚えています。
最初に、この箇所がキリスト教の歴史においてどのように捉えられてきたのかを、簡潔に記しておきたいと思います。この箇所は、文体や神学的な関連から、本来はヨハネ福音書の中にあったものではないということがいわれてきました。
今回は、7章37~44節を読みます。仮庵祭は、秋の安息日から安息日までの8日間行われました。イエス様はその仮庵祭に参加され、その最終日を迎えました。もっともこの日は7日目であるという説もあります。