臼田宣弘
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
前回は、17章のイエス様の「父よ」という呼びかけの言葉で始まる6つの祈りのうち、最初の2つをお伝えしました。今回は、その後の「父よ」で始まる4つの祈りが伝えられている、11節b~26節を読みます。
今回は、17章1節~11節aを読みます。17章は、イエス様の告別の祈りです。告別の祈りといえば、共観福音書ではゲツセマネの祈りが伝えられていますが、それは内容的にこの17章の告別の祈りとは相いれません。
今回は、16章16~33節を読みます。22節に「私は再びあなたがたと会い」とありますが、イエス様のこのような「戻って来る」という言葉は、14章3節(第54回)、14章28節(第56回)にもありました。
5月19日は、ペンテコステでした。ペンテコステは、イエス様の昇天後、エルサレムで祈っていた弟子たちに聖霊が降り、教会が誕生したことを記念する日です。その日の様子は、使徒言行録2章に詳しく書かれています。
今回は、15章1~25節を読みます。このぶどうの木の講話において、イエス様は教会の在り方を示されています。教会とは、「私はぶどうの木」だと言われるキリストの教会であり、信者はそれに枝として連なっているのです。
今回は、14章27~31節を読みます。「さあ、ここから出かけよう」というイエス様の言葉で終わるこの箇所は、「こう話し終えると、イエスは弟子たちと(中略)出て行かれた」で始まる、イエス様が捕らえられる場面(18章1節~)に直結しています。
イエス様は、ご自身が天に戻られた後に、「もうひとりの弁護者」が遣わされると語られました。イエス様はここで初めて、「弁護者」という言葉を使われています。そしてこの言葉は、福音書の中ではヨハネ福音書でしか使われていません。
今回は、14章1~14節を読みます。この場面では、イエス様は既に栄光をお受けになっています(13章31節)。それは、霊においては既に十字架上におられることを意味しています。
ヨハネ福音書は、イスカリオテのユダが闇の中に出て行ったことを13章30節で伝えた後、イエス様の講話となり、それは16章最後まで続きます。この講話は山上の説教に比肩し得るものであり、キリスト教の歴史の中で大切にされてきたものです。
最後の晩餐の席で弟子たちの足を洗われた後、イエス様は自分を宗教指導者たちに引き渡そうとしている者について話し始められました。しかしその者は、ご自身が「選んだ者」であり、イエス様が引き渡されることは「聖書の言葉」が実現することだったのです。
今回は、12章35~50節を読みます。ヨハネ福音書は、12章までが前半とされていますが、この箇所はそのまとめということができましょう。
3月28日は洗足木曜日です。今回は、予定通りであれば12章35~50節をお伝えするのですが、洗足木曜日の週であることを鑑み、洗足が書かれた次の13章1~17節を読みます。12章35~50節は、次回お伝えします。
イエス様が過越祭のため、子ロバに乗ってエルサレムに入場されたとき、そこにギリシア人たちも来ていました。そのギリシア人たちが、「イエス様に会いたい」と言って、弟子のフィリポの所に来ました。
今回は、12章12~19節を読みます。私はここまでが、10章40節に始まる「ラザロの復活」というお話の大きな括りに入ると考えています。前回お伝えしたベタニアのマリアの塗油の次の日に、イエス様はエルサレムに入られます。
今回は、12章1~11節を読みます。エルサレム近郊のベタニアでラザロを復活させた後、ユダヤ人たちに付け狙われるようになったイエス様は、エフライムという町に避難していましたが、再びベタニアに戻りました。そこで復活したラザロと再会したのです。
ユダヤ人の多くは、イエス様がラザロを復活させたことを見て、イエス様を信じました。これまでヨハネ福音書が伝えていたユダヤ人たちは、イエス様に敵対する人たちか、イエス様のなさった奇跡を見て、その超人的な力に対しては信仰を持った人たちでした。
今回は、11章36~44節を読みます。前々回、マルタは「終わりの日の復活」は信じていたが、イエス様は「私は復活であり、命である」と言われ、復活と永遠の命を与えることを「今」実現される方だとお伝えしました。
今回は、11章28~35節を読みます。前回お伝えしましたが、イエス様に対して「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています」という信仰告白をしたマルタは、一旦家に戻りました。
今回は、11章17~27節を読みます。前回、イエス様が「ラザロは死んだのだ」と言われたことをお伝えしましたが、いざベタニアに着いてみますと、果たしてラザロは墓に葬られて4日たっていました。
今回は11章1~16節を読みます。前回お伝えしたように、この「ラザロの復活」のお話は、人々の心の中に存在していた洗礼者ヨハネが、生前のイエス様の最後で最大のしるしを指し示すことから始まります。