なぜこの短い書簡が残されたのか
今回から2回にわたり、第3ヨハネ書を扱います。最初に、この短い書簡がなぜ新約聖書に残されたのかについて、私の考えを記しておきたいと思います。
本コラムの第1回で、第2ヨハネ書と第3ヨハネ書の著者である「長老」が、ヨハネ福音書の著者である「愛弟子」と同一であるという私の考えをお伝えしました。「愛弟子」も「長老」も、ヨハネ共同体の核となる人物であることは、聖書学者たちによって認められています。であるならば、両者は同一人物であると考えるのが自然です。ただし、ヨハネ福音書の執筆と、第2、第3ヨハネ書の執筆には、時間的差異はあるかもしれません。
長老(=愛弟子)は、ヨハネ共同体の教会に相当数の手紙を書き送っていたでしょう。それは、パウロもそうであったろうと思います。別のコラム「パウロとフィレモンとオネシモ」の第1回で、「パウロの手紙の中には、この手紙(フィレモン書)程度の長さのものはたくさんあったであろう。しかしなぜこの手紙だけが正典として残ったのであろうか。相当な重要性があったに違いない」という松本卓夫氏の言葉を引用しました。
フィレモン書と第2ヨハネ書と第3ヨハネ書は、それほど分量に違いはありません。パピルス1枚か2枚程度に収まるものだったでしょう。パウロがフィレモン書程度の手紙をたくさん書いていたのと同じように、長老もこの程度の手紙はたくさん書いていたと思います。では、その中でなぜこの2通が新約聖書に残されたのかということですが、それはやはり第1ヨハネ書との関連からだと思います。
第1回で、ヨハネ書簡集は第1ヨハネ書が本論であり、第2ヨハネ書と第3ヨハネ書はその添付書状で、第2ヨハネ書は前書きに当たり、第3ヨハネ書は後書きに当たるという説があり、私はそれを支持していることをお伝えしました。そのことを確認した上で、私は以下のように考えています。
ヨハネ共同体の中には、長老が書き送った手紙は数多くあった。その中で、「なぜなら、人を惑わす者が大勢世に出て行ったからです。彼らは、イエス・キリストが肉体をとって来られたことを告白しません。こういう者は人を惑わす者であり、反キリストです」(第2ヨハネ書7節)とされる巡回宣教者たちの教えに対し、長老の弟子の一人が、共同体の中に初めからあったイエス・キリストの教えを基に、具体的に反駁(はんばく)する第1ヨハネ書を書き、長老の書いた第2ヨハネ書を前書きの添付書状とした。
けれども、巡回宣教者は全て悪いわけではなく、正しい巡回宣教者に対しては援助を行わなければならない。その部分をフォローするために、巡回宣教者への援助を奨励する内容で、やはり長老の書き送った第3ヨハネ書が、後書きとして第1ヨハネ書に添付された。
以上が私の考えです。そういった経緯で、第1ヨハネ書のためには、第2ヨハネ書と第3ヨハネ書も残す必要があったのだと思います。
ことによると、第1ヨハネ書の著者である長老の弟子は、ヨハネ福音書21章の著者と同じ人かもしれません。そしてその弟子は、ヨハネ福音書の本文にもいろいろ解説を加えていたとも考えられます。ヨハネ福音書19章35節の「それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている」が、この弟子によって書き加えられた解説であり、彼が第1ヨハネ書の著者であるならば、この弟子が第1ヨハネ書4章6節以下で書いている内容(第11回参照)と、上記が一致していることにもうなずけます。
執筆目的
第1ヨハネ書4章6節に、「真理の霊と惑わしの霊」とありますが、前述の「正しい巡回宣教者」は「真理の巡回宣教者」であり、「反キリストの巡回宣教者」は「惑わしの巡回宣教者」ということができるでしょう。ヨハネ共同体の指導者である「長老」は、惑わしの巡回宣教者に対しては、強く警戒することを求めていました。しかし同時に、真理の巡回宣教者にはもてなしを尽くすことを求めていました。
ヨハネ共同体には、両方の手紙が残されていたと思えます。前者は第2ヨハネ書であり、後者がこの第3ヨハネ書であるということができると思います。それらが、第1ヨハネ書に添付されたのです。
登場人物
第3ヨハネ書は、他の2つのヨハネ書簡とは違い、固有名の記されている登場人物が複数います。本文に先立って、これらの人たちについてお伝えします。ただし、彼らがどういう人たちであったのかは、確実な説はいずれにも存在しませんので、あまり深く詮索するのではなく、「真理の巡回宣教者に対するもてなし」という観点での説明にとどめます。
ガイオ(1節)
手紙の名宛人ですが、家の教会の提供者であり、牧会者でしょう。初期の教会には、定住型宣教者と巡回型宣教者がいました。巡回型宣教者が各地に行って伝道をし、定住型宣教者をつくり、そして自分は別の地に行き、そこに他の巡回型宣教者がやってきます。「パウロとフィレモンとオネシモ」の第3回でお伝えしましたが、フィレモンの家の教会では、フィレモンとアフィアが定住型宣教者であり、エパフラスとアルキポが巡回型宣教者であるというのが私の持論です。
ガイオは、ヨハネ共同体に属する一つの教会の定住型宣教者でしょう。長老はガイオのもてなしを称賛するとともに、さらにそれを続けるように促しています。
ディオトレフェス(9節)
この人については、ガイオの教会に属する人物であるという説と、別の教会の人物であるという説の両方があります。どちらなのかは分かりません。この人については、「頭になりたがっている」ということと、「真理の巡回宣教者たちをもてなさず、彼らを追い出そうとする者である」ということを押さえておけばよいと思います。「ディオテレフェスのようではなく、もてなしをしなさい」という存在として、この人物は登場しています。
デメトリオ(12節)
真理の巡回宣教者の1人でしょう。この第3ヨハネ書を運んだ人であるという説もあります。いずれにしても、デメトリオはもてなされるべき人物として伝えられていると思います。
今回お伝えしたことを基にして、次回に本文を読むことといたします。(続く)
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