前回(第7回)は、“火の玉宇宙”(ビッグバン理論の出発点)の起源を説明するインフレーション理論が、現在では理論的にも観測結果からも行き詰まっていることをお話ししました。インフレーション理論に基づいて宇宙背景放射の揺らぎを説明するために、現在の宇宙を構成している物質の96%が、正体不明な「暗黒物質」および「暗黒エネルギー」で占められていると仮定されています。
今回は、暗黒エネルギーから深刻な「偶然一致性問題」と呼ばれる謎が生じ、これを「多宇宙論」という奇想天外な理論に基づいて説明しようとする学者が意外と多く存在することを説明します。
【今回のワンポイントメッセージ】
- 多宇宙論は科学の基準から外れた奇説。しかし、偶然一致性問題を解決できる理論としてこれを支持する学者が思いのほか多い。
暗黒物質、暗黒エネルギーとは?
暗黒物質は、望遠鏡(光、または電波)では観測できないけれども、質量を持ち重力(引力)を働かせて銀河などの運行に実際に影響を及ぼしてしていると考えられている仮想的な物質です。
暗黒エネルギーは、ただ観測データ(宇宙波背景放射の揺らぎ)を説明するために仮定された物質で、その存在すら疑われていました。ところが近年、宇宙開闢(かいびゃく)時にインフレーション(空間の加速膨張)を起こした真空のエネルギー(第6回)の生き残りが暗黒エネルギーではないかと考えられるようになりました。
インフレーションが終了した時点で真空のエネルギーのほとんどが物質に転じましたが、ごくわずかに残った真空のエネルギーが暗黒エネルギーであろうと推察されているのです。なぜなら、今日の宇宙の膨張速度が緩やかに加速していることが観測され、これが現在存在する暗黒エネルギー(すなわち真空のエネルギーの生き残り)によると説明されたからです(この業績に対して2011年にノーベル物理学賞が授与されました)。
暗黒エネルギーと「偶然一致性問題」
ところが、ここで大問題が存在します。宇宙背景放射の揺らぎから決められた暗黒エネルギー(すなわち真空のエネルギー)の密度は、素粒子論から理論的に計算される真空のエネルギー密度よりとてつもなく小さいのです。なんと10の120乗(つまり1000・・・0と1の後に0が120個ならぶ数)分の1でしかありません。
それゆえ、宇宙開闢の時に存在していた真空のエネルギー密度を120桁(120倍ではありません!)という途方もない精度で減少させて、奇跡的に現在の暗黒エネルギーの観測値になるように微調整されたことになります。
しかし、このように奇跡的な微調整、すなわちファインチューニングが偶然行われて観測値に一致したと想定するのは、奇跡や偶然に頼らず自然法則だけで合理的に説明することをめざす科学の基準から外れています。これが「偶然一致性問題」と呼ばれ、現在、宇宙論および素粒子物理学の分野で学者の頭を悩ませている未解決問題です。この謎が解けない限り、暗黒エネルギーの正体を明らかにすることができません。
「偶然一致性問題」に答える“多宇宙論”
偶然一致性問題に対する解決策として、“多宇宙論”に基づく説明が提案されています。
多宇宙論とは、インフレーションをしている最中の親宇宙の一部の領域から子宇宙が生まれ、そこから孫宇宙、さらにひ孫宇宙が、という具合に無数に多くの宇宙が次々と生み出されたという奇想天外な理論です。
無数の宇宙が存在すれば、その中には必ず、真空のエネルギーが120桁の精度で現在の暗黒エネルギーの値にピタリと一致するような宇宙が存在しても不思議ではありません。そこで、そのような宇宙に我々が生存していると考えれば、偶然一致性問題を解決できると多宇宙論者は唱えているのです。
たった一つの宇宙しかなければ、それが120桁もの精度でファインチューニングされているのはまさに“奇跡”なので科学にふさわしくない。しかし、無限にたくさんの宇宙が存在すれば、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ように、ぴたり一致する宇宙が存在するから科学的な説明になる。このように多宇宙論者は考えるのです。
多宇宙論に対する批判と支持
私たちは「他の宇宙」が存在することを実験や観測によって確かめることができません。なぜなら観測できるような宇宙は、私たちの宇宙とつながっているので私たちの宇宙の一部に属し、「他の宇宙」ではないからです。それゆえ多くの学者が、多宇宙論は経験(観測、実験)によって実証することも否定することもできないので、科学の基準から外れていると批判しています。
それにもかかわらず、偶然一致性問題を解決できる唯一の手段として多宇宙論を支持する学者が意外と多いのです。彼らの中には、次回説明する「人間原理」を唱える者が少なからずいるのです。
多宇宙論に基づいて復活した定常宇宙論
また、インフレーション・ビッグバン理論が受け入れられたためにすたれた定常宇宙論(第5回)を多宇宙論に基づいて復活させた科学者も存在します。彼らは一つの宇宙から、子や孫の宇宙が次々と出現するのであれば、永遠の昔から多くの宇宙が定常的に生まれ続けてきたという新たな定常宇宙論を唱えているのです。
しかし、これも経験によって肯定も否定もできないので、科学の原則から外れた議論です。
このように、自分の信条や世界観を貫徹するために、科学の基準を逸脱するような奇説を受け入れる学者が宇宙論の分野に存在するのです。この状況は、量子力学の多世界解釈を信奉する学者が存在すること(第4回)と共通しています。
【まとめ】
- 暗黒エネルギーは、宇宙開闢時にインフレーションを起こした真空のエネルギーの生き残りと考えられるようになったが、そのためには、真空のエネルギーが120桁もの高い精度で微調整されて減少したとせねばならない。
- このような奇跡的なファインチューニングが起きたと想定するのは、科学の原則に反し受け入れ難い。これを偶然一致性問題という。
- 偶然一致性問題に対する解決策として、多宇宙論(インフレーションのプロセスで無数の宇宙が誕生するという奇説)に基づく説明が提案されている。
【次回】
- 多宇宙論で偶然一致性問題を説明しようとする科学者の間で広まっている「人間原理」を紹介します。
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