前回は、スコラ神学者が、自然現象を数学で定式化し実験によって検証する実験科学の方法論を樹立して近代科学の成立に寄与したことを明らかにしました。
今回は、スコラ神学者ロジャー・ベーコンと哲学者・神学者フランシス・ベーコンが、キリスト教的世界観に基づいて「科学による自然の支配」を唱えたことを紹介します。さらにF・ベーコンが、多くの観測・実験事実を集めることによって科学を発展させるべきだと主張し、その後、啓蒙思想家が反宗教的な立場から中世暗黒説(中世を宗教が科学の進歩を妨げた暗黒時代と見なす)を唱えたことを説明します。
【今回のワンポイントメッセージ】
- 反宗教的感情を抱いていた啓蒙思想家が中世暗黒説を唱えたが、20世紀初頭に科学史家によって中世暗黒説が崩壊する端緒が開かれた。
「白魔術」による「自然の支配」を唱えたロジャー・ベーコン
スコラ神学者ロジャー・ベーコン(13世紀)は、前回紹介した師のグロステストと共に数学と実験を重んじる実験科学の方法論を樹立しました。
ところで、R・ベーコンは「白魔術」の創始者と呼ばれています。彼は、超自然(悪魔、悪霊など)の力を借りて行う「邪悪な」魔術を「黒魔術」、自然法則を通じて自然の中に神が置かれた力を開放する「良い」魔術を白魔術と呼んだのです。
魔術は、教父アウグスティヌス以来、カトリック教会によって厳しく糾弾されてきました(第24回)。しかし魔術は、西欧世界で対抗文化として存在し続けていました。R・ベーコンは、魔術に含まれていた自然探究の側面だけを白魔術として取り出してキリスト教の世界観と融合させたのです。
R・ベーコンは、哲学(科学)の目的は、自然を通してより深く神を理解するとともに、神が自然の中におかれた力を自然法則を通じて開放し有用な機械を作り出し敵からキリスト教世界を守ることにある、と唱えました。そして、科学が進歩した将来には、自然に秘められた力を利用して、今日の潜水艦、自動車、飛行機などに相当するものが作られるであろうと予測しました。
科学によって人間が「自然を支配する」という概念を最初に唱えたのは、白魔術という言葉を考え出したスコラ神学者ロジャー・ベーコンだったのです。
ロジャー・ベーコンの思想を発展させたフランシス・ベーコン
ロジャー・ベーコンの思想は、彼より300年後に英国で活躍した同姓の哲学者フランシス・ベーコン(16~17世紀)に受け継がれました。
F・ベーコンは、神を畏敬しつつ、自然という第二の書物(第一の書物は第22回で述べたように聖書を指します)を探究するとき、人類はアダムの堕罪の時に失った「自然に対する支配力」を回復することができると唱えました。ただし、人間は自分の観念を自然に押し付けることによってアダムの堕罪に次いで自然に対する支配力を失った、と説いて人間の理性を過信する高慢を戒めました。
F・ベーコンは、科学の目的は、神と人とに対する愛のゆえに、「神の栄光」を表すとともに、アダムの堕罪以来人間に負わされた「生活の重荷」を軽くして「人類の福祉」に貢献することにあると主張しました。
さらに、従来のスコラ哲学は議論をするだけで少しも実際の生活に役立たない。このような学問を革新して、直接自然を探究することによって自然を支配して生活を改善していくような知識を探究しなければならない、とF・ベーコンは唱えました。つまり、学問(科学)をキリスト教的な世界観と人間観に即したものに革新しようとしたのです。
そのためには、誤った先入観――これをイドラ(幻像)と呼びました――を捨て去り観測や実験によって自然に関する事実(データ)をたくさん集め、そこから真理を引き出す必要がある、とF・ベーコンは説きました。
このように経験(観測、実験)で得られた知識を積み上げて真理に達することを目指したF・ベーコンは「イギリス経験論の父」と呼ばれています。
中世暗黒説を生み出した啓蒙主義者
F・ベーコンが唱えた経験(観測、実験)を重んじる科学の方法論は、18世紀にフランスの啓蒙主義者に引き継がれました。
啓蒙主義者は、人間の理性を無条件で肯定し、反宗教的な感情を抱いていました。それゆえ彼らは、キリスト教が支配していた中世には宗教的な迷妄というイドラ(幻像、偏見)が知性を覆っていたと考えました。そして、中世は自然観測によって正しい知識が得られず、また科学者が迫害された暗黒時代であったと主張したのです。これが中世暗黒説です。
啓蒙主義者は、F・ベーコンの経験(観測、実験)を重んじる科学の方法論を引き継いだけれども、キリスト教的世界に基づく科学思想を退けて反宗教的な歴史解釈――中世暗黒説――を作り出したのです。
啓蒙主義者は、暗黒の中世が終わり、光り輝くルネサンス期になって人々が自然をありのままに観測して事実(データ)をたくさん集めることによって科学が発展してきたと考えました。そして、さらに科学を発展させるために啓蒙主義者は百科全書を編纂しました。
ところが中世暗黒説はその後、科学史家によって撤回されました。そのいきさつを次に説明しましょう。
中世暗黒説を覆す端緒を開いたデュエム
20世紀の初めに、物理学者であり科学史家また科学哲学者でもあったピエール・デュエムは、中世のスコラ学者が連綿と続けてきた努力によって、近代科学の成立に寄与したことを明らかにしました。
デュエムは、スコラ学者が近代的な力学の萌芽となったインペトゥス理論(前回)を作ったことなどを緻密な文献考証によって示し、近代科学の基礎が中世に築かれたと論じたのです。これは、中世暗黒説に浸っていた人々に一大センセーションを巻き起こしました。
さらにデュエムは、次のように論じました。
- 科学者はあらかじめ暫定的な理論を立てて、どのような観測(実験)を行えばよいかを考える。理論とは無関係な観測事実(データ)は存在せず、必ず理論の影響を受けている。
- それゆえ、観測データをいくら多く集めても、それらはすでに理論に依存しているので理論を倒すことができない。理論を倒すのは、それとは異なる新しい理論である。
デュエムは、「観測は理論を倒せない。理論が理論を倒す」という衝撃的な結論を導き出したのです。そして、観測事実(データ)が累積されることによって科学を進歩させることができると唱えた啓蒙思想家の見解を覆しました。ここから中世暗黒説を覆す端緒が開かれたのです。
【まとめ】
- スコラ神学者ロジャー・ベーコンは、神が自然の中におかれた力を開放して、神と人類のために用いるべきであると唱えた。
- 哲学者フランシス・ベーコンは、キリスト教的世界観に立って学問を刷新するために、観測・実験で得られた知識を積み上げることを主張した。
- 宗教的感情を抱いていた啓蒙主義者が中世暗黒説(中世を宗教的な迷妄が支配し科学者が迫害された暗黒時代とみなす)を唱えた。
- 中世暗黒説が崩壊する端緒が、科学史家デュエムによって20世紀初頭に開かれた。
【次回】
- 歴史学者バターフィールドが、中世暗黒説を覆すとともに、中世にルーツを持つ科学が17世紀に大きな変革を遂げて近代科学が誕生したと論じ、この出来事を「科学革命」と呼んだことを説明します。
※2018年2月4日に内容を一部修正しました。
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