前回は、原始の地球の海で有機物が作られ、生命体へと進化したとする化学進化説が解決不能な問題を抱えていることを説明しました。
最終の今回は、これまでに述べた「科学と宗教の闘争史観の撤回」「パラダイム論が明らかにした科学の本質」および「科学の未解決問題」を振り返って、科学の本質と限界を明らかにします。そして、進化論と創造論の関係を考察します。
【今回のワンポイントメッセージ】
- 最先端の科学は、解決の見通しが立たない深刻な謎を抱えているが、一般には科学は全てを解明できると考える人々が多い。それは、科学の本質と限界が理解されていないためである。
科学と宗教の闘争史観の撤回
近代科学は教会の迫害に勝利した英雄たちによって生み出されたとする歴史解釈は、科学史家によって覆されています。
近代科学の先駆者(コペルニクス、ケプラー、ニュートンなど)は、神の栄光のために自然を探究しました(第17、18、10回)。ガリレイ裁判は、科学と宗教の対立ではなく、新旧の学問の対立とされています(第19、20、21、22回)。
近代科学の基本的な理念の萌芽は、古代のキリスト教・教父の思想にさかのぼることができます(第23、24回)。その後、中世のスコラ神学者によって、信仰と理性の衝突を避けて自然科学を探究する近代思想の枠組みが作られ、また数学を重んじる実験科学の方法論が樹立されました(第25、26、27回)。
暗黒の中世を支配していた宗教的な迷妄がルネサンス期に打破されて近代科学が誕生したと考える中世暗黒説は、科学史家によって払拭されています(第28、29回)。
パラダイム論が明らかにした科学の本質――科学は“絶対”ではない
科学は、客観的な「事実」と合理的な「論理」のみに基づいて絶対的な真理を明らかにしていると考える常識的な見解が、クーンのパラダイム論によって打破されました(第30、31回)。
現実の科学者は、通常はパラダイム(主要な一つの科学理論とそれを支える世界観などを含む信念体系)の枠の中で研究し、パラダイムの前提を疑いません(第30回)。パラダイムとなっている理論が反証されても、反証事例は無視(先送り)されるか、理論が手直しされて理論は生き延びます。
科学の未解決問題
現在の科学には、次のような深刻な未解決問題が存在します。
① 最先端の宇宙論に取り入れられている宇宙開闢(かいびゃく)理論――“無”からマイナスのエネルギーと引き換えにプラスのエネルギーを得て「ミニ宇宙」が出現した――は、検証が不可能な仮説です(第6回)。また、「偶然一致性問題」を解決するために、無数の宇宙が存在すると仮定する「多宇宙論」が唱えられていますが、これも検証不可能です(第8回)。
② 進化論では、DNA分子に進化の痕跡がなく、「分子進化と形態進化の橋渡し」ができません(第36、37回)。また、化学進化による生命の起源説は、推察の域を出ません(第41回)。
③ 量子力学では、その「正統的解釈」の根底にある世界観に反対する人々によって「多世界解釈」(ミクロ粒子を観測すると、世界が多くの世界に枝分かれする)が唱えられています(第4回)。
④ 脳科学では、物質で作られた脳から主観的な「意識」がどのようにして生じるかという問いは、研究する方法さえ不明の超難問とされ、さまざまな説が提起されています(第34回、第35回)。
科学は全てを解明できるか?
これらの深刻な謎は、解決の見通しが立っていません。しかし一般には、科学は自然現象の全てを解明した、または解明するだろう、と考えている人々が多いようです。
なぜ、人々は科学に対して特別な信頼を寄せ、科学を万能と考えるのでしょうか。それは、人々が科学の本質を理解していないからなのです。
科学は、扱う対象を、(1)物質的世界に限定し、(2)数量化して数学で記述できる現象に限り、しかも(3)経験(実験、観測)によって繰り返し確認できる、つまり再現可能な現象に制限することによって大いなる有効性を発揮してきました。
従って、過去に一度だけ起きた再現不可能な出来事を扱う宇宙論と進化論では、通常の科学の枠組みの中では解決できない謎(上記①、②)が存在するのです。
また量子力学では、ミクロ粒子を観測したときに「実際に起きるプロセス」を観測することができず、脳科学では「意識」を数式化することができないので、未解決問題(上記③、④)をめぐって論争がなされているのです。
進化論パラダイムと創造論パラダイム
本コラムを終了するに当たり、進化論と創造論をパラダイムの観点から考察しましょう。
科学、すなわち自然科学では、自然主義(超自然を排し全てを自然法則で説明する)に立って全ての自然現象を説明することを目指します。進化論パラダイムでは、化学の法則に従ってDNAが複製される際に偶然起きるミスコピーによって生じる突然変異のうち、繁殖に有利なものが世代にわたって蓄積される、つまり自然淘汰(とうた)によって進化が起きると説明します(第39回)。
しかし、目的や計画を持たない自然のプロセスである突然変異と自然淘汰からは、生きる目的のために生物に備えられている精緻(せいち)な秩序と機能が作り出されるメカニズムを説明することができません。
さらに、生物が持つ情報(DNAに暗号化されている)や理論(例えばパターン認識理論[第40回])が知性を持たない自然によって生み出されたとは考えられません。情報には必ず発信者が存在し、理論は知性の働きによって構築されるからです。
つまり、自然淘汰に基づく進化論は反証されていると言うことができます。
そこで、進化学では、「自然淘汰には、神によって創られたと人々が見間違えるような秩序、および知的存在しか生み出せないと考えられている情報や理論を作り出す『未知の創造的な力』が存在する」と想定(理論を手直し)して、この反証事例に対処しています(第39回)。
ただし、進化学者は「未知の創造的な力」を、今は証明できないけれども理解を深め研究を進める上で有益な作業仮説(第15回)として、とりあえず受け入れ、やがて解明されるであろうと期待(先送り)しているのです(第37回)。
聖書に立脚した創造論パラダイムでは、生物とその多様性は神によって創造されたとされています。全ては「創造主の業(わざ)である」の一言で説明されます。
それゆえ、創造論パラダイムでは、生物の誕生と多様化のプロセスを自然法則で説明することができません。このため、創造論者は、進化論による説明に対して、その欠陥を自然法則に基づいて指摘して反対し、創造の業として理解できることを示します。このようにして進化論の主張を反駁(はんばく)する営みが創造科学といわれているのです。
つまり、創造科学で行われている研究の手法と方法は、自然法則に従っています。しかし、創造科学は、超越的な原理(神による創造)を導入しているので、自然主義のみに立つという自然科学の基準を満たさないので、いわゆる疑似科学に属します。
競合する2つのパラダイム間の論争では、自説に基づいて自説を擁護し、他説を退けます(第31回)。進化論(創造論)パラダイムでも進化(創造)が実際に起きたことを前提として議論を展開しています。
ただし、進化論パラダイムでは、自説では説明できない「未知の創造的な力」が自然淘汰に存在するという作業仮説を導入して自説を擁護しています。一方、創造論パラダイムでは、自説の原理(神による創造)によってではなく、自然法則を用いて進化論を反駁しているのです。
理論物理学者から英国国教会の司祭に転身したジョン・ポ-キングホーン(ケンブリッジ大学クイーンズカレッジ元総長)は、再現実験が不可能な過去に起きた出来事を扱う生物進化論および宇宙進化論について次のように述べています。
「このように歴史を扱う科学では、限られた証拠(それも断片的なものである)から、最も満足のゆく説明を見出さなければならない。これらの科学は、このような限界をもつがゆえに神学に最も近いといえる」[『科学者は神を信じられるか――クォーク、カオスとキリスト教のはざまで』ジョン・ポーキングホーン著、小野寺一清訳、講談社(2001年、英文原著1994年)、27ページ]
自然主義に立ち、自然主義では説明できない「未知の創造的な力」で説明する進化論パラダイムと、自然を超越した原理(神による創造)で説明する創造論パラダイム、どちらが「より満足のゆく説明」を見いだしているのでしょうか?
【まとめ】
- 現在の科学は、解決の見通しが立たない深刻な謎を抱えているが、一般には、科学は全てを解明できると考える人々が多い。
- それは、科学の本質的な限界(対象を物質的世界に限定し、数学で記述でき、再現可能な現象に制限して有効性を発揮してきた)が理解されていないためである。
- 聖書に立脚した創造論パラダイムでは、進化論の主張を、自然法則に基づいて論駁する。この営みが創造論科学といわれているが、超越的な原理(神による創造)を導入しているので、疑似科学に属する。
- 聖書に立脚した創造科学は、自然主義に立たないので疑似科学に属し、自然法則に従って進化学の主張を反駁している。
- 進化学では、自然主義では説明不可能な未知の「創造的な力」が自然淘汰に存在するという作業仮説を立てて進化を説明している。
※2016年7月11日に一部修正。
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