前回は、DNA分子の進化を説明する中立説と、形態の進化を説明する自然淘汰(とうた)説を橋渡しできない(形態の進化を分子レベルで説明できない)ことを説明しました。
今回は、自然淘汰説と中立進化説を結合した現在の進化学について、進化学者が指摘している問題点を明らかにします。
【今回のワンポイントメッセージ】
- 自然淘汰説と中立進化説を組み合わせている現在の進化学は、検証が不可能である。また現在の進化学で扱われている数学的理論は、確率・統計に関するものであり、物理学のような厳密な科学理論ではない。
同語反復と非難されたダーウィンの自然淘汰説
ダーウィンは、環境に適応して生存と繁殖に有利になるように変異した品種が、世代を重ねるうちに選択的に増え広がり、新たな種を生じると想定する自然淘汰説(自然選択説)を提起しました。
ダーウィンに反対する人々は、生存と繁殖に有利になることは、増え広がることと同じだから、自然淘汰は同語反復(トートロジー)であると非難しました。同語反復とは、例えば、「彼が死んだのは、生命活動が停止したからだ」のように、同じ事柄を別の言葉で表現しただけで何も説明していない無意味な言明を指します。しかし、それゆえに常に成り立つのです。
自然淘汰が同語反復であることを評価する反論
1959年に、『種の起源』出版100周年を記念して開かれた会議で、進化学者のC・H・ ウォディントンは、次のように述べました。
「自然淘汰は、当初、実験や観測によって確認する必要がある仮説と考えられていたが、注意深く検討すれば同語反復であることが分かる。集団の中で、最も多くの子孫を残すように適応した個体が最も多くの子孫を残す、と言っているのだから。・・・この当たり前ともいうべき事実は、これまで認識されてこなかった。しかし、今やっと明確にされたおかげで、自然淘汰説が強力な説明の武器であることに生物学者が気付いたのである」【文献1[385ページ]強調:筆者】
自然淘汰を同語反復として定義することによって、ダーウィンは進化を説明する強力な武器を備えた、とウォディントンは指摘したのです。
自然淘汰説は科学理論ではない?
筆者が見た限り、全ての進化学の書物に「進化が起きたことは事実であるが、そのメカニズムについては各論(自然淘汰説、中立進化説、等々)があり論争が続けられている」という内容が記されていました。
つまり進化を事実として認める進化学パラダイムの枠組みの中で、進化の機構に関して各論をめぐる論争が行われているのです。
進化学者のコリン・パターソンは、進化を事実と認める観点から、
① 生物は、遺伝的変異を次世代に伝える、
② 遺伝的変異には、繁殖に有利なものと不利なものがある、
という自明の前提が成り立つことから、
③ 繁殖に有利な遺伝的変異が増え広がり、不利な変異が除去される、すなわち自然淘汰によって進化が起きる、
つまり自然淘汰説が導き出される、と論じています。そしてパターソンは「この意味で、自然淘汰説は科学理論ではなく、ユークリッド幾何学の定理のように、ある自明の前提から正しいことが証明されるものである」【文献2[199ページ]強調:筆者】と述べています。
自然淘汰説は進化学パラダイムの前提から導かれるけれども、次に説明するように、経験(観測、実験)で検証できないので厳密な科学理論ではない、とパターソンは指摘しているのです。
自然淘汰説は検証できない?
前回説明したように、DNAで観測される突然変異の大部分は自然淘汰が働かない中立突然変異です。そこで現在の進化学では、中立進化説をも取り入れて自然淘汰説と組み合わせて進化を総合的に説明しています(前回)。
ところが、パターソンは、「進化を総合的に説明しようとして、この両理論を組み合わせると、その総合理論はもはや検証可能ではなくなってしまう」【文献2[78ページ]】と述べ、その理由を次のように説明しています。
「自然淘汰によって説明できない場合がどんなに多くでてきたとしても・・・遺伝的浮動(注:中立進化説)を持ち出せば事が済む・・・逆に、遺伝的浮動と当初考えられていたものが、結局は自然淘汰の産物と分かるという事例が続出したところで、中立説は困らない。中立説は、遺伝的浮動が全ての進化を説明できるとは主張していないからである」【文献2[78ページ]注:筆者】
進化理論は絶対的な真理ではない?
このように進化理論が検証不可能であることを踏まえてパターソンは、「今日の進化理論が絶対の真理ではない」と述べ、次のような見解を記しています。
「進化が起こってきたことを認め、それをネオ・ダーウィニズム(注:自然淘汰説と遺伝学を結合した進化説)プラス中立進化説で説明する現在の進化理論は、今日最善のものである。・・・誰かが・・・さらに優れた、より完成された説を考えつくまでは、この理論を受け入れるべきであろう」【文献2[205ページ]注と強調:筆者】
進化理論は科学理論か?
進化学で想定されている進化のプロセスは、過去に一度だけ起きた歴史的な出来事ですから、経験(実験、観測)によって検証することができません。それゆえ、コリンズは次のように論じています。
「歴史家にできるのは、過去を解釈する事だけである。・・・同じ理由から、進化生物学者は特定の種の未来の進化を予測できないし、過去の進化を説明することもできない。ただそれについての解釈なり、物語を組み立てられるだけである。・・・進化には物理学の諸法則に匹敵する進化法則は存在しない。それは歴史に法則が存在しないのと同じことである」【文献2[197、198ページ]強調:筆者】
進化学者の八杉貞雄は、進化が歴史的な現象を扱っていることに関して、「歴史性を伴う現象は自然科学とはなり得ないのだろうか。そんなことはない。古典物理学のようにはいかないだけで、別の形の科学はあり得るのだ」【文献3[4ページ]、強調:筆者】と述べ、「別の形の科学」とは、自然淘汰説と中立進化説において働いている統計的な法則によって進化現象を説明することである、と説明しています。
生物の高校教科書や進化学の書物には、進化を解析するために複雑な数式が羅列されています。しかし、進化学で扱われている数学的理論は全て、突然変異がもたらす適応の度合いを示す変数や、環境の影響など表す係数を用いた確率・統計的な計算です。進化学は、物理学のような厳密な科学からはほど遠いと進化学者たちが認めている通りなのです。
【まとめ】
進化学者が次のことを認めている。
- 自然淘汰理論は、進化学パラダイムで自明とされている前提から導かれる。それは、観測・実験で検証できないので厳密な科学理論ではない。
- 自然淘汰説と中立進化説を組み合わせた現在の進化論では、淘汰説(中立説)で説明できないときには中立説(淘汰説)で説明するので、検証が不可能である。
- 過去に一度だけ起きた歴史的な出来事を扱う進化学は、進化の未来と過去について解釈と物語を組み立てることしかできない。
- 進化学で扱われている数学的理論は、全て確率・統計的な計算であり、厳密な科学理論からほど遠い。
【次回】
- 中立進化説と深く結びついている「分子時計」の問題点を明らかにします。
【文献】
- 1)”Evolutionary Adaptation” by C. H. Waddington, in “Evolution After Darwin: vol.I, “The Evolution of Life”, edited by Sol Tax, University of Chicago Press, Chicago, 1960, pp. 381-402.
- 2)『現代進化学入門』、コリン・パターソン著、馬渡峻輔、上原真澄、磯野直秀 訳、岩波書店(2001年、英文原著1999年)。
- 3)『進化学の方法と歴史』、長谷川眞理子、八杉貞雄、粕谷英一、宮田隆、四方哲也、巌佐庸、石川統 著、岩波書店(2005年)。
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