福江等
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牧師の小窓(111)私は学んだ・その2 福江等
私は学んだ・・・人生を素晴らしいものにするのは、日々の小さな出来事であるということを。私は学んだ・・・どの人も皆、固い殻(から)の下には、感謝してほしい、愛してほしいという心があるということを。
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牧師の小窓(110)私は学んだ 福江等
私は学んだ・・・この世で最高の教室は老人の足元であるということを。私は学んだ・・・愛している時は、それが自ずと外に出るものだということを。私は学んだ・・・「おかげで助かりました」と誰かに言ってもらうだけで、一日中気持ちが晴れるということを。
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牧師の小窓(109)乙女マリアの信仰 福江等
乙女マリアが天使ガブリエルから聞いたメッセージは驚くべきものでした。彼女から世の救い主がお生まれになるというものです。しかも、それは聖霊によってみごもるという途方もない知らせでした。
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牧師の小窓(108)ブラザー・ローレンスの霊性 福江等
数週間前に礼拝のメッセージの中でブラザー・ローレンスという17世紀のフランスに生きた1人の修道士について語らせていただきました。カルメル会という修道会の中では台所で食事係をする立場でありましたが、彼の霊性は今もなお、世界中で関心が持たれています。
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牧師の小窓(107)ヘレン・ケラーの苦悩 福江等
最近読んだ本の中で、ヘレン・ケラーの自叙伝があります。彼女が大学生の時に書いたものです。ヘレン・ケラーの心の中がどんなものであったか、彼女が何を思い、何を考え、何を生きる目標としていたかを知る手掛かりとなる重要な資料だと思いました。
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牧師の小窓(106)神様とのインタビュー 福江等
ある夜、私は神様にインタビューしている夢を見ました。「私にインタビューをしたいのかね」と神様が聞かれます。「ええ、もしお時間がありましたら」と私は言いました。
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牧師の小窓(105)聖書の余白と行間 福江等
何年か前、韓国のある大学で開催されました国際神学会議に出席いたしました。以前から存じ上げている1人のヨーロッパの旧約聖書の学者が主講師になっておられました。今となってはどのような内容のお話をされたか、ほとんど覚えていませんが、1つだけ印象に残ったことがありました。
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牧師の小窓(104)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その20 天正遣欧少年使節の帰国後 福江等
ヨーロッパでの大役を無事果たした天正遣欧少年使節は1590年、実に8年ぶりに帰国を果たしました。帰国後、この少年たち(といっても、彼らはすでに20歳を越す青年になっておりました)がどのような人生を送ったか、最後に記しておきたいと思います。
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牧師の小窓(103)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その19 天正遣欧少年使節団の教皇謁見 福江等
天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は長崎を出帆して、困難を極める船旅で2年半かけてポルトガルの首都リスボンに到着しました。1584年8月のことです。
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牧師の小窓(102)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その18 天正遣欧少年使節 福江等
今回の雲仙・長崎キリシタンの旅で私たち一行が最後に訪れたのが、天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)で派遣された4人の少年たちの碑です。
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牧師の小窓(101)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その17 出津救助院 福江等
ドロ神父は外海(そとめ)地区の人々の極端な貧困を見て衝撃を受け、両親から譲り受けた莫大(ばくだい)な遺産をすべてなげうって外海のキリシタンのために尽くしたのでした。教会を建築した次にドロ神父のしたことは出津(しつ)救助院を造ることでした。
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牧師の小窓(100)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その16 出津教会堂 福江等
ドロ神父が日本に行くことになったとき、彼の母親は「どうして天国に行くのにそんなに遠くまで行く必要があるの?」と嘆き悲しんだそうです。もう2度と会うことが許されないかもしれないことを知っていたのですね。
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牧師の小窓(99)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その15 ドロ神父 福江等
私ども一行が訪ねて行った長崎県の外海(そとめ)地方では、1人のフランスの神父マルク・マリー・ド・ロ(1840~1914、通称ドロ神父)という方のことが深く印象に残りました。この方にとって外海は「心のランバルネ」であったのだろうと思います。
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牧師の小窓 (98)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その14 外海の「沈黙の碑」 福江等
長崎市にあるキリシタン関係の地を訪れた後、私たち一行は長崎市から北に足を延ばし外海(そとめ)という地方へ行きました。そこは江戸時代にキリシタン弾圧のため、長崎の多くのキリシタンたちが逃れていった場所です。
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牧師の小窓 (97)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その13 コルベ神父 福江等
コルベ神父はポーランド人で、カトリック教会の神父。長崎から1936(昭和11)年に帰国した後、ユダヤ人にもカトリック教徒にも同じように親切にしていたということで、ナチス・ドイツ軍に捕らえられて、アウシュビッツ収容所に入れられました。
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牧師の小窓 (96)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その12 永井隆博士の言葉 福江等
永井隆博士(1908~51)が召されるまで住まわれた畳2畳の小さな家「如己堂」のすぐ隣に、永井隆記念館があります。その記念館の中に博士の言葉が数カ国語に訳されて展示されていました。それらは、博士の著作集の中から抜粋したものです。ここに幾つかご紹介いたします。
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牧師の小窓 (95)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その11 永井隆博士 福江等
浦上天主堂を見学させていただいたとき、その壮大な聖堂の横に隣接している比較的小さなチャペルの壁に、約8500人の名前が銅版に刻まれていました。それは、原爆によって命を落とした浦上天主堂の信徒や司祭たちの名前でありました。
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牧師の小窓 (94)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その10 浦上天主堂 福江等
1880(明治13)年に、信徒たちは旧庄屋屋敷を買い取って仮天主堂としました。長い弾圧と流配の打撃から生活の再建ももちろん十分でなかったので、1895(明治28)年になってようやく天主堂(教会堂)の建立に着手しました。
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牧師の小窓 (93)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その9 浦上四番崩れ 福江等
1867(慶応3)年、キリシタン信仰を表明した浦上村の村民たちが江戸幕府の指令により、大量に捕縛されて拷問を受けました。江戸幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府の手によって、村民たちは全員流罪となりました。これがいわゆる「浦上四番崩れ」というものです。
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牧師の小窓 (92)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その8 大浦天主堂 福江等
長崎におけるキリシタン殉教の地である西坂から、私たち一行は長崎市の南山手にある有名な大浦天主堂を訪れました。このカトリックの会堂は1865(元治2)年にフランス人宣教師プティジャン神父やフューレ神父らの尽力によって建立されました。
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