ドロ神父は外海(そとめ)地区の人々の極端な貧困を見て衝撃を受け、両親から譲り受けた莫大(ばくだい)な遺産をすべてなげうって外海のキリシタンのために尽くしたのでした。教会を建築した次にドロ神父のしたことは、出津(しつ)救助院を造ることでした。
その中心となる授産場を建築して、そこで女性たちは手に職をつけました。綿織物の製糸から製織、染色をはじめ、そうめんやパンの製造、醤油などの醸造を行っていきました。その建物自体がドロ神父の考案した特別な技法で造った建物で、世界遺産の申請の長崎教会群の一部に含まれています。
授産場ではマカロニやパスタなども製造されており、日本で初めての食べ物でした。製造されたパスタなどは長崎にいる外国人に売られていました。
農業にも通じていたドロ神父は、そうめんなどの材料になる小麦の種子をフランスから取り寄せて栽培し、水車小屋を使って製粉しました。落花生油を使った独特の製法で油となる落花生も地元の畑で栽培しました。こうしてつくられたそうめんは、「ドロさまソーメン」の名で今も親しまれています。
私たち一行のランチはこのドロさまソーメンでした。名前があまりよくありませんが、味はピーナッツの香りがするおいしい太めのソーメンでした。珍しい味でした。
当時外海地区では、伝染病がはやっていたため、ドロ神父はフランスやイギリスから医療器具や薬品などを取り寄せ、医師を雇い、診療所と薬局を開設しました。
1人の人がキリストを愛するが故に、遣わされた所ですべてをささげたことによって、この地方の人々の生活と人生に計り知れない影響を与えたのでした。私たちを案内してくださった地元のご高齢の男性からは、ドロ神父に対する感謝の気持ちがその言葉の端々から感じられ、感動せずにはいられませんでした。
◇