長崎の大浦天主堂を見学しているときに、その近くにコルベ館という建物があることを知りました。マキシミリアノ・コルベ神父(1894~1941)については、曽野綾子氏が詳しく小説にしていますから、大体のことは記憶にありましたが、この神父が長崎で戦前6年間宣教師であったのだということに、その時気が付いたのでした。
コルベ神父はポーランド人で、カトリック教会の神父。長崎から1936(昭和11)年に帰国した後、ユダヤ人にもカトリック教徒にも同じように親切にしていたということで、ナチス・ドイツ軍に捕らえられて、アウシュビッツ収容所に入れられました。そこで1人の囚人が逃亡したため、10人が無作為に選ばれて餓死刑を命ぜられました。その時、1人の人が「あ~、私には妻も子どももいる!」と泣き叫んだのでした。
コルベ神父はそれを聞いて哀れに思い、ナチスの軍人に、「私はカトリックの司祭ですから、妻も子どももいません。私をあの人の身代わりにしてください」と申し出たのです。そして、コルベ神父は他の9人と共に、地下牢の餓死室に連れて行かれました。そこで、彼は9人を励まして、賛美したり祈ったりして、1人ずつ餓死していく人を看取っていきました。コルベ神父は最後まで生き続けました。
2週間後にナチスの監視人が見たとき、彼がまだ生きているのを知って、彼に毒注射をして死なせたのでした。そのようにして、コルベ神父は最後をまっとうしたのでした。享年47歳でした。
コルベ神父は後に、カトリック教会では聖人として尊敬されることとなりました。神父が長崎に宣教師として働いていたのは1930(昭和5)年から36(昭和11)年までの6年間でした。その間に長崎に修道院を建て、神学生の教育と文書伝道にまい進していたのです。
実は、神父はこの時すでに肺結核になっていて、病の身にありながら宣教していたのでした。彼のまったき献身の生涯は、1粒の麦となって多くの実を結ぶこととなりました。
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