永井隆博士(1908~51)が召されるまで住まわれた畳2畳の小さな家「如己堂」のすぐ隣に、永井隆記念館があります。その記念館の中に博士の言葉が数カ国語に訳されて展示されていました。それらは、博士の著作集の中から抜粋したものです。ここに幾つかご紹介いたします。
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笑いを失った子は不幸だと言われている。泣くことのできぬ子はさらに不幸である。(『ロザリオの鎖』より)
本当の平和をもたらすものは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による。(『いとし子よ』より)
「戦争はおろかなことだ!戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである!人間は戦争するために生まれたのではなかった!平和を!永久平和を!」この叫びを私は広く伝えたかった。(『花咲く丘』より)
原子戦争はちっとも美しいものじゃない、おもしろいものじゃない。もっともあっけない、もっともむごたらしい、もっとも徹底した完全破壊である。あとに残るは灰と骨ばかり・・・。心をうつ物語一つない。(『花咲く丘』より)
平和を祈る者は、一本の針をも隠し持っていてはならぬ。自分が・・・たとい、のっぴきならぬ破目に追い込まれたときの自衛であるにしても・・・武器を持っていては、もう平和を祈る資格はない。(『平和塔』より)
あの美しかった長崎を、こんな灰の丘に変えたのはだれか?・・・私たちだ。おろかな戦争を引き起こしたのは私たち自身なのだ。(『花咲く丘』より)
お互いに赦しあおう・・・お互いに不完全な人間なのだから
お互いに愛しあおう・・・お互いにさみしい人間なのだから
けんかにせよ、闘争にせよ、戦争にせよ、あとに残るのは後悔だけだ。(『平和塔』より)
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