アフリカの旧コンゴのランバルネの村で診療所を開いて、その生涯の大半をその地方の人々のために注ぎ出したアルベルト・シュバイツァー博士は、「誰でも心のランバルネが必要である」と言いました。「心のランバルネ」というのは、その人がこの地上で自らの使命を果たし尽くす一隅を指していると思われます。
私ども一行が訪ねて行った長崎県の外海(そとめ)地方では、1人のフランスの神父マルク・マリー・ド・ロ(1840~1914、通称ドロ神父)という方のことが深く印象に残りました。この方にとって外海は「心のランバルネ」であったのだろうと思います。ドロ神父がこの地方で明治の初めから生涯を注ぎ出して行ったことが、現在もなお引き継がれ、語り継がれていることを知り、この方の人となりとその信仰を垣間見る思いがいたしました。このドロ神父という人について記してみたいと思います。
ドロ神父は、フランスのノルマンディー地方ヴォスロールという村の裕福な貴族の家に生まれました。幼い頃から、父親がさまざまな所へ連れて行っては多種多様な経験をさせていったようです。大工の仕事や農業の経験、成長してからは建築や土木、医療から印刷技術、はたまた養蚕から工業に至るまで、驚くほど幅広い経験と技術を身につけさせたのです。こういった経験や知識が後年、日本に来てからことごとく用いられ、外海地方の社会福祉に大きく貢献したのでした。
神学校を卒業してパリ大学に進み、1865年にカトリック教会の司祭になっています。1865年というと、長崎では大浦天主堂に隠れキリシタンが十数人現れて、プチジャン神父に自分たちの信仰を表明した歴史的事件が起きた年であります。いわゆるあの「信徒発見」です。プチジャン神父もフランス出身であって、68年にフランスに一時帰国したときに、ドロ神父と出会いました。信徒発見のことを聞いてから、ドロ神父の心の中に日本への召しが芽生えたのでした。そして、その年の6月に来日したのです。
◇