今回の雲仙・長崎キリシタンの旅で私たち一行が最後に訪れたのが、天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)で派遣された4人の少年たちの碑です。その碑は、大村市の長崎空港に入る道の交差点にある森園公園に「天正遣欧少年使節顕彰之像」として建てられています。
私はこの4人の少年たちの生涯を考えると、悲しみがこみ上げてきます。少年たちの純粋な奉仕の気持ちとは裏腹に、時の政治権力によって翻弄(ほんろう)され、苦境を強いられた人生を送らねばならなかった彼らの苦悶はいかばかりであったことでしょう。
4人は1582(天正10)年、九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてポルトガル、スペイン、イタリア、ローマへと派遣されました。これはもともとイエズス会の宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案したもので、これらの若き優秀な日本の少年たちに西洋のキリスト教世界を見させ、大いに啓発され、また、西欧キリスト教世界から日本宣教へ協力を取り付けたいという大きな期待がありました。
この4人の少年たちは、いずれも島原半島の日野江城下にあったセミナリヨで学んでいた特別に優秀な少年たちでありました。4人の名前を挙げておきます。
・伊東マンショ(主席正使)大友宗麟の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。
・千々石(ちぢわ)ミゲル(正使)大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。
・中浦ジュリアン(副使)
・原マルティノ(副使)
いずれも13歳から15歳の少年であります。1582年に長崎から出帆し、約2年半の船旅の末にポルトガルのリスボンにやっと着いたのでありました。
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