天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は長崎を出帆して、困難を極める船旅で2年半かけてポルトガルの首都リスボンに到着しました。1584年8月のことです。一行の訪問は、当時の欧州の人々にとってはセンセーショナルだったため、スペインのフェリペ2世をはじめ、行く先々で国王や領主たちに歓待されます。その際、少年たちは知性ある振る舞いで応え、人々を感嘆させたそうです。
ポルトガルからスペイン、そして夢の聖都のあるイタリアに上陸し、地面にキスをしました。熱烈な歓迎を受けて、多くの人々に見守られつつ、一行はローマに入りました。そして、さっそく翌日に当時の教皇グレゴリオ13世との謁見(えっけん)に臨んだのです。
謁見の場となったのはサンピエトロ大聖堂。ちょうど枢機卿会議が行われていたため、少年たちの待遇はあたかも会議が国王使節を迎えるかのようであったそうです。教皇は83歳という高齢でしたが、日本からの訪問を心から喜び、少年たち一人一人を抱きしめました。少年たちにとっては限りなく至福な瞬間だったに違いありません。深く心に刻まれた思い出となったことは確かです。
大役を終えた使節一行は、ローマから帰りの途につきますが、立ち寄る先々での熱狂的な歓迎は変わりませんでした。欧州に日本を知らしめ、布教のため教皇や有力な国王から援助を受ける・・・天正遣欧少年使節におけるバリニャーノの目的は、見事達成されたのです。
使節団は欧州で約2年の時を過ごし、再びポルトガルのリスボンから祖国に向けて1586年に出帆しました。そして、なんと約4年もの月日をかけて長崎まで帰ってくることができたのでした。しかし、彼らが帰国する3年前に、豊臣秀吉がすでに伴天連追放令を発布していたのです。
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