横坂剛比古
1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒、バークリー音大CWP卒。作曲家、ベーシスト、行政書士、コラムニスト、WEBディレクターなどなど、神様の導くままに生きていたらムカデのように何足ものワラジを履くようになってしまったクリスチャン。上馬キリスト教会ツイッター「中の人・まじめ担当」。
1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒、バークリー音大CWP卒。作曲家、ベーシスト、行政書士、コラムニスト、WEBディレクターなどなど、神様の導くままに生きていたらムカデのように何足ものワラジを履くようになってしまったクリスチャン。上馬キリスト教会ツイッター「中の人・まじめ担当」。
主の御名をあがめます。マロです。週の始めの月曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。来月に迫った引越に備えて部屋の掃除をしていましたら、中学の時に大好きだった「LUNA SEA」の缶バッジが出てきました。
1月ともなると冬の寒さもいよいよ本番ですよね。温かいツミレ鍋でも食べたいんですが、実は数年前からアレルギーでイワシが食べられないんです。残念です。さてさて、今日もゆるゆるまいります。
マリアに伝えられた、聖書に1回だけのこの「おめでとう」は、キリストを通して、私たち一人一人に向けられた祝福の言葉なんです。私たちはみんな、神様から「愛してるよ」って小さな愛の告白を受け取っているんです。
きっと僕は世界中の誰よりもみじめなクリスマスを過ごしているのだ、と思った刹那(せつな)、気付かされたんです。イエス様が生まれた馬小屋は、きっとこんな環境だったんだ、と。そう気付いたら、急に冷えきっていた心が温かくなってきました。
聖書に「天の御国では、最も小さな者が最も大きな者にされる」と書いてありますが、そのことを象徴するのがこのルドルフの物語なのです。最も力のない、立場の弱い、笑い者であったルドルフが他の8頭の先導者となり、いちばんの人気者となりました。
教会はクリスマスこそ伝道のチャンスと思いがちですが、それよりもまず、「『楽しまなきゃ』とか『寂しいのは嫌だ』とか思わなくていいんですよ」「いい子であれ悪い子であれ、教会は関係なく歓迎しますよ」ということを伝えることが肝要ではないでしょうか。
僕も面と向かって牧師に悪口を言えるようになってから、教会生活がグッと楽になりましたし、牧師の弱さ、至らなさにもほんの少しですが共感できるようになりました。「牧師は従うものではなく、支えるものだ」と理解することができました。
神様を信じること、礼拝することは義務ではありません。クリスチャンに与えられた権利です。砕けた言い方をすれば、「神様を信じてもいいよ」「礼拝してもいいよ」ということです。こう捉えると、信仰生活や礼拝に対して、少し心が軽くなりませんか。
「信仰がこのままではいけない。もっと頑張らないと」と思って、かえって疲れている方はいませんか。そんな方は反対に、「少し奉仕を減らしてみよう」とか、「引き算」の発想をしてみてください。きっと楽になりますし、信仰生活が充実するかと思います。
「いい人プレッシャー」というのは、教会やクリスチャンが最も陥りやすい落とし穴の1つ。これはもはやサタンの働きであると僕は思っています。サタンが人々を教会から離れさせようとして仕掛けた巧妙なワナ、それがこの「いい人プレッシャー」です。
いきなり日本で「神様を信じましょう」と言っても、難しいんです。日本の文化に合わせてゆっくりと説明して、興味を持ってもらわなければ、誰も信じてはくれません。ただ翻訳してもダメなんです。そこにある認識や文化の違いまでちゃんと伝えないと。
先日、父を亡くしました。あれから2週間、葬儀やら何やらでドタバタしている中で、「セカンドチャンス論」についてちょっと考えてしまったりしたので、今回はそれについて書こうかなと思います。
敵がいない世界を実現するためには、敵をすべて排除しなければなりません。それなら、「自分にとってあなたは敵である。しかし、あなたがそこにいることは認めるし、あなたのために祈る」という平和を求めた方がよほど平和的ではないでしょうか。
キリストの十字架により「律法から解放された」というのは、宿題に苦しむ私たちを見かねた先生が、「宿題が終わらなくても先生は怒らないから、夏休みを楽しみなさい。みんなの代わりに僕が校長先生に怒られておくから」と約束してくださったようなものです。
伝道を「訪問販売方式」だと思ってしまうと、「自分には無理」と思えます。でも、「焼きいも屋さん方式」でもいいんだと思ったら、「自分にもやれるかも」と思えてきませんか。私たちの売る「焼きいも」は他の何よりも甘くておいしくて価値のある福音です。
日比谷野音で16日、ワンマンライブを行う2人組ロックンフォークユニット「サルーキ=」。そのボーカリスト、千代延大介さんは2003年に洗礼を受けた。どのようにして信仰を持ち、クリスチャンのミュージシャンとしてどのように歩んできたのかを聞いた。
多くのクリスチャンはノンクリスチャンに「Good News」を語る時に、うれしい顔、楽しい顔をしていないのではないでしょうか。「Good News」を伝える時は、喜んで、笑顔で伝えなければいけません。