主の御名をあがめます。
皆さま、ごきげんいかがでしょうか。はじめまして。上馬キリスト教会の教会員、横坂剛比古(よこさか・たけひこ)と申します。ツイッターの「中の人・まじめ担当」としてご存じの方もいらっしゃるかもしれません。仕事でもプライベートでも「マロ」や「マロさん」などと呼ばれることが多いので、皆さまにもそう覚えていただければと思います。
牧師でも神父でもなく、ただの信徒、それもどちらかと言えば、よく牧師や他の教会員に叱られたり、たしなめられたりすることの多い「ずうたらクリスチャン」な僕が、このようなコラムを任せていただける運びとなって、驚いたり恐れおののいたりしているところです。しかし、クリスチャントゥデイのスタッフをはじめ、上馬教会の渡辺俊彦牧師や教会員、その他クリスチャンの友人・知人・先輩方、そしてもちろん自分自身の祈りの上で導かれたことですし、何より神様の大きな計画があってのことでしょうから、しっかりと頑張りたいなと思います。
このコラムでは、そんな「ずうたらクリスチャン」が日々福音について思うことをゆるゆると書き連ねていきます。よろしくお願いします。
さて先日、将棋の藤井聡太四段が前人未到の29連勝を達成しました。このニュースは日本中で多くの方が「朗報」として受け止めたのではないでしょうか。僕も例外ではありません。テレビの中継で最後の一手を見届けて、「お見事!おめでとう」と拍手しました。しかし、よくよく考えてみれば、このニュース、多くの人にとっては朗報であっても、例えば対局相手であった増田康宏四段やそのファンの方々から見れば朗報ではなく、むしろ悲報だったのではないでしょうか。
多くのニュースはこのように、誰かにとっては朗報であっても、別の誰かにとっては悲報であることが多いものです。例えば、「オリンピックで日本の選手がメダルを取った」というのは日本人には朗報ですが、メダルを逃した他の国の人から見たら悲報なわけです。「誰かが結婚した」という報(しら)せは、悲報と思う人は少ないかもしれませんが、それでも少し古い話ですが、福山雅治さんが結婚した時には多くの女性が「福山ロス」になったように、その報せを悲報と受け止めていました。そんなふうに考えると、誰にとっても普遍的に喜ばしい報せというのは、世の中に意外と少ないのだと気付きます。
ところで、キリスト教によく出てくる「福音」という言葉、クリスチャンは当たり前に使っていますが、ノンクリスチャンの方にはなじみのない方もいらっしゃるのではないでしょうか。「聞いたことはあるけど、意味はよく分からない」という方も少なくないと思います。「福音」は英語では「Gospel」、意味は「良い報せ」「Good News」です。つまり、新約聖書の最初に登場する「福音書」というのは「良い報せの本」ということになるわけです。
そして、聖書の語るこの「福音」は、藤井四段の29連勝や福山さんの結婚のように「誰かにとっては悲報であるかもしれない朗報」ではなく、「誰にとっても、無条件に、普遍的に、絶対的に朗報である朗報」です。少なくともクリスチャンはそう信じているはずです。
そして、クリスチャンはその「Good News」をノンクリスチャンの方々に伝える使命を持っています。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28:19)と書いてあるようにです。
しかしながら、多くのクリスチャンはノンクリスチャンにその絶対的な「Good News」を語る時に、うれしい顔、楽しい顔をしていないのではないでしょうか。「Bad News」を伝える時は、不謹慎になってはいけないだとか、相手がなるべく傷つかないようにだとか、いろいろと気をつかわなくてはなりませんが、「Good News」を伝える時はそんな配慮は後回しにして、喜んで、笑顔で伝えればいいのです。いえ、むしろそうしなければいけません。
だって、例えば「報告があるんだ」という言葉、笑顔で言われれば聞く人は「お、いい報せなのかな」と思いますが、沈んだ顔やまじめな顔で言われたら「え、何か悪い話?」と思ってしまいます。「子どもが生まれたんだ」と笑顔で報告されたら「よかった」と素直に喜べますが、深刻な顔で報告されたら「何かトラブルでもあったの」と心配になってしまいます。場合によっては、「この人にとって子どもの誕生は悪いことだったんだな」と思われてしまうかもしれません。
ですから「Good News」は必ず笑顔で、喜んで、伝えなくてはいけないのです。まして、福音はただの「Good News」ではなく、「他の何よりも圧倒的に Good な Good News」なんですから、なおのことです。
せっかくの「Good News」、笑顔で伝えてまいりましょう。人間、頑張ることも大切ですが、頑張りすぎると笑顔が減ります。ですから、ゆるりゆるりとゆるりらら、気張らずゆるりとまいりましょう。
それではまたいずれ。
主にありて。マロでした。
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