主の御名をあがめます。
マロです。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。今度の日曜日からいよいよアドヴェントの期間に突入します。街では気の早いクリスマスイルミネーションが真っ盛りな週の初めの月曜日、今日もゆるゆるまいります。せっかくですから、僕も少し気を早くして、クリスマスのお話をしようかと思います。
ちなみに、クリスチャンじゃない方のために補足しておきますと、アドヴェントというのは、教会が「クリスマスモード」になる期間と思っていただければよいかと思います。日本語では「待降節」とか「降臨節」とか言います。クリスマス直前の日曜日、つまり今年で言えば12月24日の日曜日を起点にして、そこから前3週間がこのアドヴェントの期間です。来週の12月3日の日曜日が「アドヴェント第1礼拝」、10日が「アドヴェント第2礼拝」、17日が「アドヴェント第3礼拝」、そして24日が「アドヴェント第4礼拝」で、この日の礼拝を「クリスマス礼拝」とする教会が多いようです。
だいたい、どこの教会でもこの「アドヴェント第1礼拝」に合わせて、その前の週の日曜日にクリスマスツリーやイルミネーションなどの飾り付けをします。そして、クリスマス後の礼拝がその年の最後の礼拝になりますから、多くのプロテスタント教会では、大掃除がてらクリスマスの飾りをしまう、というのが一連のクリスマスの流れになります(カトリック教会などでは1月6日の公現祭まで、クリスマスの飾りは残されるようです)。普段なかなか教会に足を運びにくいな、と思っているノンクリスチャンの方も、この時期は初めて教会に訪れてみるのに一番とっつきやすい時期かと思います。
さてところで、日本でクリスマスが祝われるようになったのは明治期の頃のことだそうですが、今のように国中の誰もが知る一般的なイベントになったのは戦後になってからだそうです。もちろん、キリスト教会ではそれ以前からも祝われていたはずですが・・・。今日のようなお祭り騒ぎになったのは、一説によればなんと、戦後の銀座あたりのクラブがきっかけだそうです。バレンタインデーやハロウィーン、節分の恵方巻きなども、そういうところから広まることが多いとも聞きます。なんとまあ、聖なるはずのイベントが、ずいぶん俗なところから広まるものだとも思いますが、僕はもちろん俗なところが遊ぶには大好きですし、そんなところに目くじらを立てようとも思いません。
ただ、少し残念なのは、日本人の習性なのか、クリスマスに限らず、さまざまな聖なることの聖性が日本では忘れられがちになってしまうことです。イベントの「楽しさ」だけを抽出して味わってしまうところが日本にはあります。中でもクリスマスは、そうやって日本で聖性をなくしてしまったイベントの最たるものと言えるかもしれません。
クリスマス関連のポスターやCMに出てくるのはサンタクロースばかりです。子ども向けのクリスマス絵本もサンタのものが大半です。イエス・キリストを描いたポスターやCMがどこかにあるでしょうか。十字架を描いたものがどこかにあるでしょうか。サンタが主人公のクリスマス。これが日本のクリスマスです。もちろん、サンタクロースは楽しくて素敵なキャラクターです。しかし僕には、このサンタを中心にしたクリスマスは、実は本来のクリスマスとは正反対のようにも思えるのです。
「いい子にしていたら、サンタがプレゼントをくれるよ。悪い子にしていると、プレゼントをくれないよ」。これは難しい言葉で言うと、仮言命法の倫理基準、すなわち「◯◯なら、〜〜しなさい」という条件付きの倫理基準です。サンタは「いい子」を選び、「悪い子」は見捨てる。「いい子」は良い報いを受け、「悪い子」は悪い報いを受けるという価値観が、サンタクロースにまつわる話にはつきものです。多くの人が子どもの頃、クリスマスのたびにそんな話を聞かされたのではないでしょうか。
しかし、本来のクリスマスのメッセージはそういう仮言命法のメッセージではないのです。イエス・キリストは、正しい者にも正しくない者にも平等に救いを与えてくださる方です。強い者にも弱い者にも救いを与えてくださる方です。いえ、むしろ正しくない者、弱い者にこそ救いを与えてくださる方です(なぜなら、キリスト教的には「正しい人」「強い人」は存在しないからです)。そこには、「いい子にしていたら・・・」とか「悪い子にしていると・・・」とかいう選別はありません。そういう選別のない救いをもたらす方がこの世に降りてくださったことを祝うのがクリスマスですから、サンタクロースを主人公にして「いい子にしなさい」と教えるのは、その意味で本来のクリスマスとは正反対のクリスマスであると言えるのです。
疲れている方、弱まってしまっている方はいませんか。世のクリスマスの華やかさに気後れしてしまう方はいませんか。クリスマスを楽しめない方はいませんか。「自分は悪い子だからサンタは何もくれない」と思っている子はいませんか。
クリスマスは、本当はそういう人のための日です。楽しめない、希望を持てない、孤独だ、惨(みじ)めだ、貧乏だ、救いがない、愛する人がいない、そういう人のための希望が降臨したことを祝う日です。イエス・キリストが生まれたのは真っ暗で静かな馬小屋で、光も音もなく、貧しさの極みのような場所、救いのないような場所でした。そんな場所に救い主が現れた、そのことを祝うのがクリスマスです。これから4週間のアドヴェント、1回でも2回でも、サンタクロースではなく、そんな本当のクリスマスに目を向けていただけたら嬉しいなと思います。
アドヴェントはたぶん、1年で一番クリスチャンが元気になる季節です。教会にも、普段よりたくさんの人が訪れます。教会としては「今こそ伝道のチャンス!」と、ついつい「信じませんか」とやってしまいがちですが、それよりもまず、「クリスマスを無理に『楽しまなきゃ』とか『寂しいのは嫌だ』とか思わなくていいんですよ」ということを伝えることが重要ではないでしょうか。「いい子であれ悪い子であれ、教会は関係なく歓迎しますよ」ということを伝えることが肝要ではないでしょうか。そして、そこで神様の恵みによる無条件の幸せを感じてもらうことが大切ではないでしょうか。それが、あらゆる人に与えられた本当のクリスマスのプレゼントなのですから。
悪い子こそ、クリスマスは教会に来ればいいんです。そこには、サンタよりもはるかに豊かなプレゼントを持って主イエスが待っているんです。
ところで、クリスマスのディナーと言えば、チキンやケーキなどのごちそうを食べるのが一般的になっていますが、教会のクリスマスイブは礼拝の準備や対応に忙しくて、ごちそうどころではなかったりします。だいたい、うちの教会では毎年、簡単にカレーで済ませてしまいます。ですから、僕にとってはクリスマスの食事と言えばカレーです。カレーを食べないと、クリスマスの気分が出ません。しかし今年は、クリスマス礼拝とクリスマスイブ礼拝が同じ日に行われますから大忙しで、そのカレーすら食べる暇があるかどうか、少し心配です。皆さま、マロが無事にクリスマスのカレーを食べられますようにお祈りくださいませ。
それでは、よいアドヴェントを。主にありて。マロでした。
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