菅野直基
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
聖書は私たちの人生脚本について「わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」と語ります。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ」
神の愛は、裁きのときに一番強く輝きます。夜空に星が輝くようにです。神の愛は、砂漠の中のオアシスのように、かゆいところに手が届くようにありがたいものです。だから福音(祝福の音信)であり、GOOD NEWSなのです。
聖書には「肉にある者は神を喜ばせることができません」(ローマ8:8)と書かれています。神が私たちを喜ばせることはできても、私たちが神を喜ばせることはできるのでしょうか。
ダビデは「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう」(詩篇139篇7節)と語りました。どこにいたとしても、どんな状況にあったとしても、主の御霊は常に共におられます。
問題が山のように大きくそびえ立って見えることがあります。それは、目の前の問題を実際よりも大きなものと過大視しているのです。「祈りによって山を動かすことができる」と神様は約束されました。
「信じるだけで救われる」と聞くと、間違って理解する人がいます。間違った言葉なのでしょうか? いや、正しい言葉です。しかし「信じるだけで救われる」と聞いて、必ず誰かから出てくる反応として「信じる以外に、何もしなくていい!」というものがあります。
四方八方が塞がれる試練に会っておられる方がいます。そんな時どうしたらよいでしょうか? 全てが塞がれていても、祈りを通して天の方向を突破して、神に祈り求めることができます。
聖書には「主は怒ること遅く」と書かれています。神様が気短で怒りっぽく、すみやかに裁きを下されるとしたら、誰一人滅ぼされない人はいないはずです。神は、一点の罪や汚れがないだけではなく、罪が何であるかさえ分からないお方です。
イエス様の祈りは、「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします」(ヨハネ17:15)でした。私たちクリスチャンは、神が定められた時になったら、イエス様のおられる天に帰ります。
コロサイ3章は「こういうわけで」という言葉で始まっています。「こういうわけで」とは、2章20節には「あなたがたが、キリストとともに死んで」キリストと共によみがえって新しく生まれ変わった者だから、というのです。
キリストは、公生涯において「わたしの時はまだ来ていません」と度々語られました。この「わたしの時」の「時」は、ギリシャ語の「カイロス」です。「カイロス」は、「その時、歴史は動いた」というような「ティッピングポイント」を意味する言葉で…
あるユダヤ教の教師の家庭で、息子が突然「キリスト教に改宗したい」と言い出した。両親はショックのあまり言葉を失い、夜一心不乱に祈り始めた。すると、急に天から神が現れた。そこで両親はこう叫んだ。
聖書は「主を褒めたたえよ」と命じられます。しかしそれは、私たち自身に限定されません。全被造物に対して命じておられます。私たちは、自分自身だけで主を褒めたたえて、それで終わってはいけません。
パロ王が見た夢は、私たちの人生の中でも度々起こることではないでしょうか。一生懸命に育てた肥えた雄牛を、醜いやせ細った子牛が食い尽くすように、悪い者が神の働き、教会の働き、家庭や職場、地域の人間関係を壊してしまうことがあります。
私は、高校を卒業すると同時に、全寮制の神学校に入学しました。それから17年間神学の学びを続け、博士号を頂きましたが、まだまだ学ばなければいけないことがたくさんあるし、本当のところ、学んで知ったのは「無知の知」でしかありませんでした。
思い通りに事が進まないときには「悪魔が働いて、悪いことが起こっている」と大騒ぎをするのに、問題が解決して、思ったように事が進むようになると「神様が祝福してくださって、良いことが次々に起こっています」と言う人の話を聞いたことがあります。
今日あなたは、試練を経験しているでしょうか。試練とは、神による試み(テスト)なのです。「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた」(イザヤ48:10)と書かれています。
バイクシリーズは今日で終わります。バイクに30年以上も乗っていると、それだけでいくらでも話のネタはありますが、その中で代表的なテクニックを分かち合ってきました。今日は「信仰とバイク」という題で学びます。
今回で4回目になりますが、今日のバイクのテクニックは「ニーグリップ」です。ひざでタンクを挟んでバイクに乗ることで、下半身が固定され、安定するのです。しかし「ニーグリップ」の中には「くるぶしグリップ」が含まれます。
バイクから学ぶテクニックの3つ目は「行きたい方向を見る」ことです。カーブが連続して続く峠道で、きれいにスムーズに曲がるライダーと、ギクシャクして危なっかしいライダーの違いは「視点」です。