菅野直基
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
「どんでん返し」という言葉を聞いたことがあると思います。ストーリー展開において、大方の読者や視聴者の予想を大きく裏切るような結末が用意されていることをいいます。
「The only thing we have to fear is fear itself.(私たちが恐れなければならない唯一のことは、恐れそのものである)」。アメリカ第32代大統領フランクリン・ルーズベルト(1882〜1945)の言葉です。
物事の判断が迫られたとき、誰もが簡単に決められるようなことや、自分の好みで選んでよいものもありますが、時には、人生の方向が大きく変わってしまったり、人間関係に影響を与えてしまうような、簡単には決められない選択があります。
真面目にいちずに生きていたら悩みがないかというと、そうではありません。世の中、腹黒く、陰謀を企て、汚れた生き方をする人がいるものです。イエス様を十字架にかけて殺し、復活の事実を覆い隠そうと賄賂を使って「イエスは復活したのではなく、弟子たちが…
どこにいても同じような人間関係があり、あなたの考えに反対する人がいるものです。反対者は声が大きく、攻撃的であるため、そこにばかり目が向かいやすいかもしれません。しかし、反対者がいると同時に、声は大きくなくても賛成者がいるものです。
人生を振り返ってみると、一つ一つの苦労が懐かしく感じることがあります。人生を「線」に例えるならば、希望は「点」のように所々に存在します。希望があるからこそ、今を生きることができるのです。
人生の成功の基準は「何を成し遂げたか」で計られます。でも「どんな親友をつくったか」の方が、もっと大切な基準ではないかと思います。人生に成功できたとしても、その喜びを分かち合う友達がいなければ、寂しいものです。
人生には、忘れるべきこと、忘れてはいけないことがあります。忘れるべきことは、失敗や嫌なマイナスの記憶です。これらは教訓としたら、きれいさっぱり忘れてしまうことが一番です。次に、忘れてはいけないことは、良かったこと、うれしかったこと…
子どもの頃、さまざまな夢を見ました。そこには、何の計算もありませんでした。しかし大人になると、そのほとんどの夢を諦めてしまうのではないでしょうか。思い通りにいかない経験をするからです。
私には、心配の材料となるものがたくさんあります。広く人間関係を持つことはさまざまな良い面もありますが、その半面、時間も取られるし、疲れます。人間関係以外では、経済や健康などで心配の材料があります。
北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「この道はいつか来た道」という童謡があります。私にとっての「この道」は、聖書が語る「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)と言われた道です。「イエス・キリスト」のことです。
聖書は、人をマインドコントロールする書物ではありません。神からのラブレターであり、救いに至る道と、救われた人がどのように生きていったらよいかを教えます。「信じる者は救われる」という聖書のメッセージを伝えると、大きく分けて3種類の反応が…
ある夫婦がささいなことでけんかとなり、ご主人が妻に「出て行け!電車賃だ!」と小銭を投げつけました。奥さんはそれを拾って財布に入れ、もじもじしているので、すごい剣幕で「『早く出て行け!』と言っただろう!」と怒り出すと…
ネットでお店を検索して、食事をしに行ったことがあるでしょうか。そこに星が付けられているので、その星の数で良い店か、ハズレの店かを判断すると思います。行ってみて、予想通りだったら星3つを付け、予想を裏切られたら星1つ、良い意味で想像を…
病気になって、健康のありがたさに気付くことがあるものです。健康は当たり前ではありません。また、諸問題やトラブルに遭うことで、順調に事が進むことのありがたさを感じるものです。
人には、隠された動機が潜んでいることがあります。人の目に良く見えることの中に、不純でいやらしい動機が隠されていることがあるし、人の目に良く映らなくても、愛という動機で行われている場合もあります。
ストレスがたまりやすい人、肩が凝って仕方がない人、胃が痛くなりやすい人、ちゃんと寝ても体の疲れが取れない人。いつも空気を読み、周囲に気を使い、顔色を伺い、機嫌が悪い人のご機嫌取りをしていませんか。
牧師になる前は、御言葉を伝えるのに悪い時があるとは想像もしていませんでした。聖霊に満たされて、力と愛に満ちているなら、いつでも御言葉を伝えるのに良い時だと思っていました。しかし、そうではないことがあることを知りました。
物事がうまくいかないときに、不平不満を言う癖はありませんか。そのような習慣があるならば、言ったことでプラスになったと感じたことはあるでしょうか。もっともな理由はあると思います。しかし、事態をますます悪化させるだけです。
マタイの福音書22章には、イエス様が語られた「婚宴の例え話」が書かれています。その後半で、当初、王が王子の婚宴に招いていた人はそれにふさわしくなかったので、町の大通りに出て行って、良い人も悪い人も婚宴に招きました。