あなたは、幸せになるために生まれてきました。しかしどんな人生を求めているかによって、幸せの大きさ、深さ、強さが決まるのです。
あなたの未来予想図には、人を喜ばせたり、人の役に立っている自分の姿が描かれていますか。私たち人間が持つ欲求には、いくつかの段階があります。
- 生命維持に必要な「睡眠欲」「食欲」「排泄欲」など。
- 人とつながりたい欲求
- 人から認められたい欲求
- 自己実現欲求
- 奉仕欲求
これらの欲求のバランスを取り、それぞれが重なり合いながら生きているのではないでしょうか。幸せは、人が喜び、人の役に立つ人生を追い求めることから始まります。その中で最上のものは、神に喜ばれ、神の栄光を現す人生を求めることです。
聖書には「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイの福音書6章33節)と書かれています。
神の国とその義とを第一に求める人には、他の求めているものも添えて与えられるというのです。この聖書箇所の前後関係を見てみたいと思います。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書6章26〜34節)
神様は、私たちの天の父です。天の父は、私たちが必要とするものを、自らが心配する前にちゃんと分かっていて、前もって用意してくださっています。ですから、あれこれ心配しないで、一番大切なことを第一に求めて生きていきなさいということです。
また「あすのための心配は無用です」とあります。これは、その日暮らしの生活を教えているのではありません。一番大切なことを求めながら、明日のための備えも必要だけど、心配無用だよ、ということです。
あなたには、使命があります。それは、社会的に見て大きいか小さいかに関係なく、自分でも気が付いていないほど、大きなものです。命を懸けても惜しくないほどの偉大な働きです。
神に喜ばれ、神の栄光を現す人生を追い求める中で、必ず発見できるものです。その使命に生きるなら、あなたは最高に幸せを感じられるはずです。その幸せをあなたから奪える人は一人もいません。
あなたは、幸せになるために生まれてきました。幸せを感じながら、今日も歩んでください。
◇