菅野直基
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
スイスの哲学者であり、『幸福論』を書いたカール・ヒルティ(Carl Hilty、1833~1909年)は、「寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である」と言いました。
ノーベル文学賞を受賞した、旧ソビエトの反体制作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンは、楽観主義者とは、「『どこもかしこもひどいことだらけでも、私はまだまだいい!』と、現状に満足し、いたずらに嘆かぬ人のことだ」と言いました。
イギリスにこんなことわざがあります。「人は旅をして、ついにわが家へ戻る。人は生きて、ついには大地へ戻る」。旅の目的はいろいろあります。気分転換、休養、良い出会いを求めて等々。
人は誰でも失敗します。しかし、その失敗を通して何かを学ぶことができたら幸いです。なまじっか失敗をしないで大人になった人は、かえってかわいそうだと思います。偉くなったり、大きくなったりしてからの失敗は、取り返しがつかないこともあり得るからです。
1年半の間、「ミッション2015 セレブレーションオブラブwithフランクリン・グラハム大会」の準備の奉仕をしてきました。教会協力委員として600以上の教会を訪問し、大会の協力をお願いしました。非常に貴重な経験でした。
毎日、自分のためだけの時間を持っていますか? その時間は、手の込んだことをしたり、お金をかけたりする必要はありません。詩を書いたり、好きな物を食べたり、どんなことに使っても、それが自分にとって満足を与え、有益な時間であるならばそれでOKです。
こちらが嫌だとか、都合が悪いと思っているのに、自分の仕事や要求を押し付けてくる人がいます。その人の要求に負けてそれを受け入れると、後で不愉快になり、犠牲者になったように感じるものです。
使徒パウロは、病気を患っていました。自分の病気を「とげ」と呼び、常に苦しんでいました。パウロの病気は、目の病気かてんかんであったと推測できます。それが、福音の伝道をするときに嘲弄(ちょうろう)される原因にならないかと、ひどく心配していました。
「人生いばらの道にもかかわらず宴会」。この言葉は、医学博士であり、順天堂大学医学部病理学教授の樋野興夫医師の言葉です。人が死の恐怖に直面したとき、一体何を支えにして生きていったらいいのでしょうか。
ある家族は、毎週家族そろって教会に通っています。教会の帰りの車の中で、お父さんがこう言いました。「今日の牧師の説教はつまらなかったし、長かった。聖歌隊の賛美も全く感動しなかったし・・・」。その話を聞いた息子がこう言いました。
「笑う門には福来る」と言われます。「門」とは、一家・一族のことで、家族全員がニコニコ楽しく笑って暮らしていると、「福」が舞い込んでくるというのです。しかし、夫婦や親子や兄弟でいさかいが起こると、途端に家族から笑いがなくなり、福も逃げていってしまうものです。
マルティン・ブーバー(Martin Buber[1878~1965]、ユダヤ系宗教哲学者、社会学者)は、「人生は出会いで決まる」と言いました。本当にそうだと思います。私の人生を変えた最大の出会いは、神との出会いです。
「気分がさえない」「体調が優れない」というのは、体が発する「黄色信号」です。今のままだと、やがてそれが「赤信号」に変わり、うつ病など、心や体の健康を損なってしまう可能性があります。
バイクの運転歴は28年になりますが、いつもバイクは怖い乗り物だと感じます。こちらがテクニックを持っていて安全運転をしても、相手が無謀で間違った運転をしたとしたら事故に遭う可能性もありますし、命を落としてしまう可能性もあります。
早いもので、結婚して18年経ちました。振り返ると「いろいろなことがあったなあ」と、なつかしくなります。教会で式を挙げ、ホテルで披露宴をしました。たくさんの友人知人にお祝いしていただき、お世話になった中学校の校長先生も祝辞をしてくださり、胸が熱くなりました。
聖書が教える罪は、簡単に言えば「自己中心」です。最初の人、アダムとエバは、「神なんかいらない!」と神を捨てて、悪魔と自分の思いに従いました。日曜日に教会で、人間の罪について説教をすると、いろいろな反応があらわれます。
私の両親はクリスチャン(キリスト教徒)です。クリスチャンの家庭に育つことで、自然に神様の存在を意識しました。子どもの頃から体が弱く、肺炎になり、長期入院もしたことがあります。小学校の入学式の日は病院で過ごしました。
人が才能を使わないで埋もれさせてしまう原因は、失敗に対する恐怖心からです。仮に失敗したとしても、ずっと失敗者になってしまう訳ではありません。
ストレスがたまりやすい人、肩がこって仕方がない人、胃が痛くなりやすい人、ちゃんと寝ても体の疲れが取れない人。いつも空気を読み、周囲に気を使い、顔色を伺い、機嫌が悪い人のご機嫌取りをしていませんか?
ある日、奥さんがご主人に、「あなたに2つの悪い知らせがあるの・・・」と打ち明けました。余命の宣告には賛否両論があります。余命を告げられたことで、すっかり元気をなくしてしまって、死期を早めてしまう人もいます。