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菅野直基
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
休暇の日などに、部屋を思いっきり掃除することがあります。気持ちいいです。私は、モノを捨てることが苦手です。しかし、あるルールを作ったことで、モノを捨てられるようになりました。
18歳の時から、毎週日曜日に神を礼拝し続けてきました。この習慣は、私にとって一番大きな祝福だったと思います。1年を通じて、家族が一緒に過ごす時間はどれくらいあるでしょうか?
今日は、新約聖書の最初に出てくるイエス・キリストの系図についてお話ししたいと思います。聖書は、66冊の本が1冊になった書物です。新約聖書の1ページ目に出てくるのはマタイによる福音書で、この書はユダヤ人に向けて書かれたものです。
「愛」は、「恋」と混同しやすいです。では、「恋」とはどのようなものでしょう。「恋」は、相手のいい部分だけを見、相手を過大評価していることが往々にあります。
人には、それぞれ誰にも相談できない悩みがあるのではないでしょうか? 誰かに話せたら悩みが半減するのに、言えないばっかりに苦しみが倍増します。
私の神学校(牧師になるための専門学校)の学生時代に、説教学という授業があり、説教演習の時間がありました。私の説教に対して指導教授は、「菅野君の説教は、信徒たちがずっと講壇に居たくなる説教だね」と言われました。
私は、取扱説明書を読むのが好きではありません。新しい機器を買ったとき、取扱説明書を読んで使うより、まず電源を入れて、手に触れながら覚えていきたいと思います。
三寒四温(さんかんしおん)とは、冬の時期に、7日周期で寒い日が3日続き、その後4日暖かい日が続く現象のことをいいます。人の成長はこれと似ているのではないかと思います。
毎朝、妻と朝食を食べながら、韓国ドラマの「馬医」を見ています。このドラマには、幾つかのメッセージが込められています。私が、このドラマを通して学んだことは、「自分の過去を恥としない。隠さない」ということです。
私たちは、自分の考えている内容をいちいち自覚していないことが多いと思います。さながら、呼吸を無意識でやっているようなものです。 心は、絶えず何かを考えているのに、自分が何を考えているかを忘れていないでしょうか?
スイスの哲学者であり、『幸福論』を書いたカール・ヒルティ(Carl Hilty、1833~1909年)は、「寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である」と言いました。
ノーベル文学賞を受賞した、旧ソビエトの反体制作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンは、楽観主義者とは、「『どこもかしこもひどいことだらけでも、私はまだまだいい!』と、現状に満足し、いたずらに嘆かぬ人のことだ」と言いました。
イギリスにこんなことわざがあります。「人は旅をして、ついにわが家へ戻る。人は生きて、ついには大地へ戻る」。旅の目的はいろいろあります。気分転換、休養、良い出会いを求めて等々。
1年半の間、「ミッション2015 セレブレーションオブラブwithフランクリン・グラハム大会」の準備の奉仕をしてきました。教会協力委員として600以上の教会を訪問し、大会の協力をお願いしました。非常に貴重な経験でした。
毎日、自分のためだけの時間を持っていますか? その時間は、手の込んだことをしたり、お金をかけたりする必要はありません。詩を書いたり、好きな物を食べたり、どんなことに使っても、それが自分にとって満足を与え、有益な時間であるならばそれでOKです。
こちらが嫌だとか、都合が悪いと思っているのに、自分の仕事や要求を押し付けてくる人がいます。その人の要求に負けてそれを受け入れると、後で不愉快になり、犠牲者になったように感じるものです。
使徒パウロは、病気を患っていました。自分の病気を「とげ」と呼び、常に苦しんでいました。パウロの病気は、目の病気かてんかんであったと推測できます。それが、福音の伝道をするときに嘲弄(ちょうろう)される原因にならないかと、ひどく心配していました。
「人生いばらの道にもかかわらず宴会」。この言葉は、医学博士であり、順天堂大学医学部病理学教授の樋野興夫医師の言葉です。人が死の恐怖に直面したとき、一体何を支えにして生きていったらいいのでしょうか。
ある家族は、毎週家族そろって教会に通っています。教会の帰りの車の中で、お父さんがこう言いました。「今日の牧師の説教はつまらなかったし、長かった。聖歌隊の賛美も全く感動しなかったし・・・」。その話を聞いた息子がこう言いました。
「笑う門には福来る」と言われます。「門」とは、一家・一族のことで、家族全員がニコニコ楽しく笑って暮らしていると、「福」が舞い込んでくるというのです。しかし、夫婦や親子や兄弟でいさかいが起こると、途端に家族から笑いがなくなり、福も逃げていってしまうものです。