スイスの哲学者であり、『幸福論』を書いたカール・ヒルティ(Carl Hilty、1833~1909年)は、「寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である」と言いました。
昨晩、布団の中に入ったとき、明日が来るのを楽しみにしながら眠りについた人は、どれくらいいますか?
人が生きていくために必要なのは、希望です。希望がなくなると、明日が見えなくなり、生きていくのがつらくなります。
しかし、希望があれば大丈夫です。
希望を持つためには、まず、「希望の対極にある絶望を知る」必要があります。
絶望は、人類の先祖であるアダムとエバが悪魔に誘惑されて、神から禁じられた「善悪を知る木の実」を食べようと心で決めた瞬間から始まりました。
罪が人類に不幸をもたらし、絶望を与え、人は絶望的な存在になってしまいました。
夫婦や隣人との関係に、憎しみ、争い、怒り、悪意、ねたみが入り、互いに愛し合い、励まし合い、支え合いたいのに、さながらハリネズミのジレンマのように、罪というハリがお互いを刺し合うので、近づきたくても近づけないのです。
人生にはさまざまな苦しみがあります。体や心の病気。借金地獄。人間関係の不和。そして、人の最後は死です。人間は、とことん絶望的な存在です。
絶望が分かって、それがどう希望につながっていくのでしょうか? そんな私たちを救ってくれる人はいるのでしょうか?
多くの宗教があり、宗教は人間の努力や頑張りによって救いに到達しようと努めます。あるいは、避けられない運命として受け入れ、諦めることを教えます。
もし、「底なし沼」に落ちた人がいたとしたら、何とか自力でそこから抜け出す努力をするか、あるいは、底なし沼に落ちることを運命として受け入れて諦めるかのどちらかの選択のようです。
底なし沼は、絶望的な状況に陥っている人の状態を示す例えですが、自力で頑張るか? 諦めるか? のどちらかではなく、もう一つの道があります。その底なし沼の中にまで入ってきてくださり、命をかけて救い上げてくださる方がいます。
そのために、2016年前に救世主がこの世に誕生しました。そのお方は、神の独り子イエス・キリストです。キリストは、私たち人類の罪と不幸と死を十字架で全て背負ってくださり、死んで墓に葬られ、3日目に復活されました。
ここに、完全な救いがあります。
ここに、絶望を希望に変える力があります。
ここに、希望があるのです。
希望を持って生きていくならば、どのような状況にあっても幸福です。夜寝るときにも、明日の朝起きることが楽しみで仕方がありません。希望こそ、人を生かす力です。
キリストの十字架と復活は、人類最大の敵である死を滅ぼしましたので、それ以下の試練や困難が私たちを絶望させることはありません。希望は決して失望に終わることがないからです。
そして希望は、あなたにハッピーエンドを約束してくれています。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)と聖書に書かれています。
あなたもそんな力強い希望を持ちたいと思いませんか? 希望は、今あなたの目の前に差し出されています。希望は、キリストの十字架と復活を信じる心によって、今あなたのものとすることができます。希望を持って毎日を幸福に生きていきましょう。今日も素晴らしい一日でありますように。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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