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菅野直基
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
親にとって一番悲しいことは、子が親を親として認めず、親をないがしろにして生きている姿を見ることではないかと思います。神にとって一番悲しいことも同じです。人が神を神と認めず、神をないがしろにして生きていることです。
セクハラ、パワハラ、モラハラなどのハラスメントが問題とされてきましたが、最近では、コロナ騒ぎの中で、コロハラ(コロナハラスメント)が問題となっているのではないでしょうか。
若い頃、「抜け目なく振る舞い、人生のチャンピオンになろう!」と思って頑張っていました。でも、いつも人生のチャンピオンでいることは不可能です。坂道をのぼれば、坂道をおりなければなりません。ギターの弦を張って演奏し終わったら、弦をゆるめなければなりません。
ある日、私のお気に入りの靴がなくなり、代わりに、超オンボロで見るも無残な靴が置かれていました。おそらく、「もうこれ以上履くことはできない!」というときに私の靴を見つけて、物々交換して去っていったのではないかと思います。
人間は、良い習慣を身に付けるのに苦労するのに、なぜか悪い習慣は簡単に身に付いてしまうものです。何事にも感謝をするという習慣はなかなか身に付かないのに、不平・不満を言う習慣を身に付けるのはいともたやすいものです。
ゲームというと、私の世代なら、ゲームセンター、ゲームウォッチ、ファミコンなどを思い出します。しかし、そういう楽しいゲームではなく、不快になり、落ち込ませてしまうゲームのことです。「もし~ならば、~なんだけれどなあ」というものです。
先日、講演を終えた後で、聴衆の何人かが、「とっても良かったです。ありがとうございました」という言葉をかけてくれました。その言葉を聞いただけで、疲れは吹き飛び、元気になりました。力ある言葉ですね。
ジョルジュ・ベルナノス(Georges Bernanos、1888~1948、20世紀フランスの作家、思想家)は、「他人の喜びに喜びを見いだすこと。これが幸福の秘訣である」と言いました。ともすると、「自分の喜びに喜びを見いだすこと」こそが、幸福の秘訣であると考えやすいものです。
時々、人を注意して指導しなければならなくなる立場に立たされます。それが、子ども相手ならいざ知らず、大の大人が相手ならつらいです。どんな人でも、人から注意されたり、批判されることはうれしくないからです。
「幸せ」と感じられることは、年とともに変化します。子どもの頃、空を見上げているだけでうれしくなって、「あの雲に乗ってみたいな」と考えるだけで幸せになりました。
言葉や態度で、「あなたには価値がない!」と断定する人がいます。その根拠は、自分と他者を比較して、何か違う点を見いだすからです。外見、態度、行動、人種、性別、学歴、地位、収入、宗教、家柄などでの優劣を判定する基準があるのです。
人生に失敗はありません。あるのは発見するチャンスだけです。発明王のトーマス・エジソンは、「わたしは、今までに、1度も失敗をしたことがない。電球が光らないという発見を、今まで2万回しただけだ」と言いました。
日本語の漢字は、使い分けることで微妙なニュアンスの違いを表現できます。「許しの愛」は、「許容や妥協」が含まれます。私たち人間はこれが限界です。しかし、「赦(ゆる)しの愛」は、「いっさい根に持たない」ものです。
クリスマスとは、「Christ(キリスト)のmass(ミサ)」からきている言葉です。キリストの誕生を喜び、キリストを礼拝することを意味します。日本では、キリストなしのクリスマスという芸当が行われることがあります。
予測不能な出来事が起こったとき、これまで積み上げてきたものが跡形もなく崩れ落ちてしまうことがあります。どしゃ降りの雨と嵐に遭って心がずぶ濡れになると、怒りが込み上げ、それは次第に自己嫌悪に変わります。
あなたは幸せですか。それとも、不幸せですか。どんなに喜びにあふれていても、誰かの何気ないひと言で不幸のどん底に突き落とされることがあります。しかし、赤ちゃんなどを見ていると、泣いたり笑ったりしながら、世界一幸せな顔をしています。
笑いは謙遜な心から生まれてきます。不平不満を言わず、あるがままを受け入れ、感謝していると、自然に笑顔になり、笑いがあふれてくるものです。現状に不満を抱き、あるがままを受け入れず、腹を立てていると、怒った顔になり、怒りが込み上げてきます。
皆さんは、「譲れないこと」と「妥協できること」の基準がしっかりと決まっていますか。そうしたら、人生に悩みがなくなります。 この2点を構築するためには、聖書を土台にすることをお勧めします。
私たちは、情報過多の中を生きています。凶悪事件は激減しているにもかかわらず、凶悪事件がたくさん起こっていると感じている人がたくさんいます。それは、マスコミの影響です。
自宅近くでお昼に外食するときは、あるそば屋にいつも食べに行きます。店主に聞くと、仕入れ可能なすべての製麺屋さんのうどんとそばを自分の舌で味わって、心底納得できるものを使っているそうです。