「ありがとう」。これは不思議な魅力に満ちた言葉です。どんなに疲れていても、そのひと言を聞いただけで元気になることができます。先日、講演を終えた後で、聴衆の何人かが、「とっても良かったです。ありがとうございました」という言葉をかけてくれました。その言葉を聞いただけで、疲れは吹き飛び、元気になりました。力ある言葉ですね。
「ありがとう」は通常、何かをしていただいて感謝を表すときに使いますが、しかし、そういうときだけではなく、とてもそう思えないときにも使うことができます。漢字で「有難う」と書きます。「有る」ことが「難しい」ことに使えます。めったにないような好意を受けたとき、かゆい所に手が届くような心配り、親切などは「有る」ことが「難しい」です。
しかし、めったにないような最悪な出来事、とてつもない惨事、珍事。侮辱されたり、ひどい目に遭(あ)ったり、腹が立つような対応を受けたとき。これも「有る」ことが「難しい」、有り得ない、想定外です。「ありがとう」は、良くても悪くても、「有る」ことが「難しい」ことに対して使っていい言葉です。
しかし、後者の悪い方の「ありがとう」は、その相手や状況に対してまともに口にしたら皮肉に聞こえますし、それを見た人から、「この人、どうかしちゃったんじゃないか?」と心配になります。この「ありがとう」は、祈りによって、「有難い」ことを与えてくださった神に対して語ってください。
『ツキを呼ぶ魔法の言葉』という小冊子を読んだことがあります。五日市剛氏の講演をまとめたものです。五日市さんが大学院生の頃、自分の研究に行き詰まり、人間関係に悩み、現実逃避のために1人でイスラエルを旅行しました。しかし、旅先でもトラブルが続き、飛行機が遅れるし、財布を失くしてしまうし、詐欺に遭って所持金のほとんどを失ってしまいました。さらに、大寒波が襲来し、泊まる宿も見つからず、1人つぶやきました。「なぜ俺ばっかりこんな目に遭うんだ!」「俺ほどツイてない人間はない!」。
そんなとき、1人のユダヤ人のおばさんと出会い、親切にも自宅に泊めてくれました。ツキに見放されていた五日市さんを見たおばさんは、かわいそうに思って、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を教えてくれました。
後日、五日市さんはこの言葉を実際に使うようになりました。そうしたら、次々に幸運な出来事が引き寄せられるようになりました。人間関係の改善。研究の成功。工学博士号取得。一流会社に就職が決まり、さらによい会社からヘッドハントされて転職し、世界的な発明をし、理想の女性と結婚をし、まさに、いいことずくめです。かつての五日市さんの面影もありません。
五日市さんの人生と運命を変えた「ツキを呼ぶ魔法の言葉」とは何でしょう。それは、「ありがとう」と「感謝します」と「ツイてる」の3つです。嫌なことがあったら「ありがとう」。うれしいことがあったら「感謝します」。そして、口ぐせのように「ツイてる」と言います。難しくないですね。
人生は、だいたいうれしいことか、うれしくないことかのどちらかです。うれしかったら「感謝します」。うれしくなかったら「ありがとう」と言うだけです。そして、どんなときにも、「ツイてる!ツイてる!」と言えばいいのです。
五日市さんに「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を教えたユダヤ人のおばさんは、ユダヤ教徒ですから聖書を信じています。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、実は聖書の言葉なのです。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:16~18)
また、「ツイてる」も聖書にあります。
「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」(詩編1:2、3)
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう」(詩編23:6)
「ツイてる!」と信じたら、自然に口からもその言葉が出てくるものです。しかし、今は信じられなくても、いつも口にしていたら、段々、「私はツイてるかもしれない」から「私はツイてる」と信じられるようになり、やがて現実も、信じた通りになっていきます。イエス・キリストは、「あなたの信じたとおりになるように」(マタイ8:13)と言われました。
聖書は、さらに「ツイてる」と語ります。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:20)
「いつも、あなたがたとともにいます」。つまり、「神は私にツイていてくださる」のです。こんな素晴らしい人生が、ツイてないはずはありません。ツイてツイてツキまわる人生です。神が一緒にいてくださるなら、「マイナスはプラス」に、「ピンチはチャンス」に変えられます。だから、有難い、嫌なことがあっても「ありがとう」と言えるのです。
最後に、創世記に出てくるヨセフの物語をお話しします。
親に溺愛され、うぬぼれの強かったヨセフは、兄弟たちにねたまれ、嫌われていました。ある日、ヨセフは兄弟たちに半殺しの目に遭い、エジプトに奴隷として売り飛ばされました。
売られた先でヨセフは、主人に気に入られますが、主人の奥さんからも気に入られ、甘い言葉で誘惑されました。しかし、誠実なヨセフは、その誘惑を跳ねのけますが、恥をかかされた奥さんは、「奴隷のヨセフから性的な乱暴を受けた!」と旦那に報告し、ヨセフに濡れ衣を着せました。怒った主人はヨセフを牢屋に入れました。
ヨセフは、思春期のほとんどを牢屋の中で過ごしました。しかし、神と共に過ごし、ある日、他の囚人の夢を解き明かし、その解き明かしがすごいので、エジプトの王様の夢も解き明かすことになりました。そのことがきっかけで、ヨセフは牢屋から出してもらっただけではなく、エジプトナンバー2の地位である総理大臣になりました。
ヨセフが総理として国を治めていたある日、自分を半殺しにし、エジプトに奴隷として売り渡した兄弟たちが、ヨセフが総理大臣になっているとは知らずに陳情に来ました。ヨセフは、そこで自分の身分を明かし、そのことを知って恐れた兄弟たちにこう言いました。
「ヨセフは彼らに言った。『恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした』」(創世記50:19、20)
ヨセフは、「お兄さんたちの悪意を、神が良いことに変えてくださったんだ。だから、怒っていないから心配しないでください」と言いました。ヨセフはまさに、自分に対するひどい仕打ちに対して、苦しみ、葛藤しながらも「ありがとう」と神に祈れるようになっていました。
その「ありがとう」がヨセフを、外国の総理大臣にまで引き上げたのです。皆さんも、どんなときにも「ありがとう」と感謝の人生を歩んでいきましょう。また、神はいつも共にいて、ツイていてくださるのです。だから「ツイてる!」と、自分が祝福されていることを口にしてください。
これが「言葉の力」なのです。今日も良い1日でありますようにお祈り致します。今日もありがとうございます。
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