森本あんり著『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(NHK出版新書、2017年11月)
米国キリスト教は、正統神学の亜種なのか? 名著『反知性主義』の著者が送り出す「渾身の一撃」がここに!
かつて神学校時代に、「神学」とは何かについて議論したことがある。専門用語を覚え、それが指し示す概念をつかむことなのか、それともこの世界に役立てる実学として現代社会の問題に応えるべきなのか。後者の立場であった私は、議論の中で思わず「神学とは動詞形で表記すべきではないか!」と叫び、勝手に「神学(しんがく)る」という言葉をひねり出したことを思い出す。
例えば、今まで遭遇したことのない問題に出くわして、旧泰然とした回答しか見いだせなかったときに、「ちゃんと神学ろうよ!」と言い合う。これが正しい「神学る」の表現となる(これは決して正統な神学概念ではないので、神学生の皆さんは覚える必要はありません。笑)。
本書は、私が(勝手に)二分してきた神学の概念的側面と実学的側面、それを見事に組み合わせて、現代における「正統」の概念と実際を考察している。具体的には「宗教国家」である米国を取り上げ、その特徴を「富と成功の福音」「反知性主義」と整理して詳述している。
本書の原点は、中谷厳氏主宰の「不識塾」で著者が行った講演である。そのため、限られた専門家のみが理解できるものではなく、多くの、そして神学的素養を培う機会のなかった一般の方々(主にビジネスマン)向けに書かれている。
しかし、著者がはっきり述べているように、「一般書を書くなら、少なくとも自分自身が書いた専門書を土台にして書きたい」(203ページ)というスタンスであるため、単に「分かりやすい」だけでなく、追究してきた学術性を通して発せられる「メッセージ」が読み手に訴えてくる内容になっている。
神学の奥深さも分からないまま、単純な二分法で「概念」か「実学」かを議論していた過去を持つ私にすると、あの時の自分に読ませてやりたいほどの深みを感じさせられる1冊であった。
そういった意味で、神学部の学生だけでなく、宗教に興味を持ちながらもそれを専門としていない方々にとっても、大いに教えられ、また納得が与えられる良書であると言えよう。
著者が米国宗教史研究を専門とされているからであろうか、一般的な意味での組織神学とは異なるスタンスで「キリスト教=神学」を捉えていることが分かる箇所がある。
「アメリカという土壌は、キリスト教というウイルスにとって絶好の培養地でした。社会や国家としての成立過程が、そのままキリスト教の繁殖の始まりだったからです。アメリカ社会と一緒に成長してきたキリスト教は、社会に決定的な影響を与えましたが、同時にみずからも変貌を遂げ、多くの亜種を生み出してゆきました」(19ページ)
米国に浸透していったキリスト教を「亜種」と捉える視点を持ちながら、これこそ「自分たちのキリスト教だ」と土着化させた米国民の宗教性を、彼らの心情や地理的特質を鑑みながら解説している。そのまなざしは(私の主観的なものではあるが)温かい。
1章、2章で亜種である「米国式キリスト教」の概念とその変容を描き出し、3章、4章でトランプ大統領の所業を主なトピックスとしながら、その概念が現実社会に適応されたさまを描いている。
とても印象深かったのは、米国民が「富と成功の福音」にとらわれるあまり、21世紀以降の凋落を理解できないことを説明するときに用いた「負けるということを神学的に説明する論理が欠落している」という表現である。そして「負けを説明する論理(神学)」を持てる者こそ、著者が終章で述べている「正統」になり得る存在ということであろう。
私が、米国南部のキリスト教保守にルーツを持つ教派に属し、特に異端児的なペンテコステ諸派に属してきたからであろうか。著者のバイブルベルトに関する分析は、一部ステレオタイプ化されていると言わざるを得ない。そのような教派内で生きてきた(葛藤してきた)者からすると、もう少し丁寧な分析が必要であると思わされたことも事実である。
しかしこれは、著者の責任ではない。このような教派に属しながら、それをきちんとした形で訴えてこなかった私たちの課題、宿題である。むしろ、著者が語るような「富と成功の福音」を当たり前として受け止めてきた過去を評されたことは、大いにチャレンジングな機会となった。
著者が4章以降で、世界的な潮流となりつつある「ポピュリズム」に言及するあたりから、本書の特質が色濃く立ち現れてくることとなる。それは、やはり日本の現状を憂い、また日本が(悪い意味で)米国化しつつあることへの警鐘を鳴らしているということである。
著者は、現時点での自らの関心を「正統の蝕(しょく)」であるとしている。別の言い方では、「部分が全体を蝕む」となる。これがトランプ現象を生み出し、世界的なポピュリズム現象をけん引していることになる。これは日本においても例外ではない。
終章の最後には、日本の憲法問題にも触れられ、「自分が正統を担う」と覚悟を決めることの大切さが簡潔に述べられている。特にビジネスマンへ向けての講演であったからだろうか、そこに今まで積み上げてきた議論が一気に著者のメッセージとして集約され、「異端であることに、特に痛痒(つうよう)を感じない時代」を生きる者たちすべてに対して、渾身(こんしん)の一撃を加えている。
アメリカの「現在」を知る意味でも、またいつしか私たちも彼らの風潮に毒され、浸食されていることに気付かされるという意味でも、現代を生きる私たちが読むべき1冊であると言えよう。
森本あんり著『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(NHK出版新書、2017年11月)
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