白取春彦著『この世に「宗教」は存在しない』(ベスト新書、2017年10月)
本書は『超訳 ニーチェの言葉』『超訳 イエスの言葉』など「超訳シリーズ」の著者、白取春彦氏の最新刊である。ちなみに「超訳」とは、原文の言葉をそのまま訳すのではなく、現代の日本人が分かるように、多少恣意的ではあっても「分かりやすさ」を狙った意訳ということになる。
哲学、宗教などの専門家として、このような分かりやすい本を次々とお書きになっていることは、すごいことである。本書でも世界四大宗教(キリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教)を私たちの身近なものとして紹介してくれている。
特にキリスト教に関しては、私たちが彼の主張から学ぶべきことが多くあるように思われる。まず白取氏は「この世に宗教が純粋な形で存在することはない」と言い切っている。これを文字通り取るなら、本書を読む必要はない。
しかし、彼はこういった表現を通して、私たちが「何か得体の知れないもの」と受け止めている「宗教」という枠を見事に打ち破ってみせるのである。そして、宗教が存在する世の中で、もしその教えや考え方が実践されるとするなら、世の中にどんな形で残存することになるか、を描いているのである。
キリスト教に関してのみ言うなら、聖書を「哲学的」に解剖して見せる第5章は賛否両論であろう。いわゆるリベラル神学の手法を用いて、聖書に記載されているイエスの出来事、彼の言葉を解説している。その中身は、現代の理性的合理的世界に生きる私たちにとっての「道徳的」な教えとしては、大いに刺激的である。
しかし、本紙に代表されるような保守的キリスト教信仰にとっては、噴飯モノと取られても仕方がない。それくらいドラスティックな解釈がなされているからである。
だが、序章で解説されている「宗教とは何か」の定義や「宗教を難しくしている、三つのコーティング」といった項目などは、多いに参考になる。キリスト教をまったく知らない人からすると、こういう点がとっつきにくいのか、ということを示唆してくれているからである。
その中で特に面白かったのは、第3章「神の言葉」と「ドグマ」の項である。ここには宗教的な禁止事項に関する探究が記されている。そして「字義通り禁止事項を受け止める」保守的な教派に対し、その解釈の幅を学術的に与えてくれている。具体的には次の箇所である。
宗教の禁止命令というのは(中略)どれもが絶対的な禁止ではなく、英語で言えば「shall not」あるいは「should not(できればそういうことはしてほしくない)」のニュアンスが含まれているものではないか。少なくとも『聖書』の「出エジプト記」に出てくる有名な「十戒」は「shall not」が含まれている。(中略)「shall not」の言語感覚がない日本語に翻訳された場合は、どうしても強い命令形になってしまうしかないのだが、この十戒を英語にしたものは助動詞 shall が用いられているのがふつうである。(85~86ページ)
そして、筆者はこうまとめている。
翻訳のことはともかく、ここで言いたいのは、宗教上の命令は軍隊の上官からの絶対命令である「コマンド(command)」とは異なる性質のものだということだ。諫言(かんげん)、あるいは言い含めて教える意味合いがたくさん含まれている。これを英語にすれば、「オーダー(order)」である。(中略)オーダーには、道理も秩序も整理も含まれている。だから、柔軟性と建設性がある。つまり、例外を認めるし、場合によっては変化しうるということだ。(同)
いかがであろうか。確かに合理的整合性を取る解釈は、角が取れ、そして明瞭さに欠けることがある。だが、このような解釈の幅を持つことで、私たちは自分ができもしないこと、または到底できないと思うことに「気合のみ」でぶつかっていく愚行を避けることができるのである。
私は決して聖書のメッセージを鈍らせようとか、字義とは異なるものへ変化させることを良しとはしない。だが、あえてリベラル的な手法で聖書を解釈してみるなら、その物語や教えに対して、実は読み手である私たちが「勝手に思い込んでいたこと」を見いだすことができる。それはつまり個々人の世界観であり、生まれたときからサングラスをしているため、世界が異なった色に見えていてもそれに気付かないようなものである。
この前提としているものを払拭(ふっしょく)したり、または、あらゆる解釈にはこのような「思い込み」が付随するものであることを教えてくれるのが、本書のようなリベラル視点の新書であろう。
ただ最後に苦言を1つ。後半、イエスの言動をすべて「暗喩(メタファー)」と解釈するのはいかがなものであろうか。それでも古代キリスト教のいい意味での「得体の知れなさ」が失われてしまい、文言を通してこちらがいろいろと想像したり、追究しようと思う探究心を殺(そ)いでしまうことにならないだろうか。
確かに哲学や文学的な読みは、聖書などの聖典を読むときに役に立つだろう。しかしだからといって、その枠ですべてを解釈できます、と提示するだけでは「宗教」としての面白みを取り損ねてしまうことにはならないだろうか。
この本にどっぷり依存すると、今の信仰が儚(はかな)いものに見えてきてしまう。だからあくまでも聖書は「字義通り」を原則とし、その解釈の手法を複数提示する、というやり方がベターな気がする。そういった観点から、ぜひ1度は手に取ってもらいたい良書である。
白取春彦著『この世に「宗教」は存在しない』(ベスト新書、2017年10月)
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