藤本満著『シリーズ わたしたちと宗教改革 第1巻 歴史―わたしたちは今どこに立つのか―』(日本キリスト教団出版局、2017年6月)
本書は「わたしたちと宗教改革」シリーズ第1巻として発刊された。今年(2017年)がルターの宗教改革から500年ということもあり、さまざまな「宗教改革本」が出版されている。その中で本書は白眉だと言っていい。特徴は以下の3点に集約される。
① 分かりやすく、読みやすい。
②「宗教改革」を1517年に続く一連の「物語」として描いている。
③ 歴史の「なぜ」に明確に著者の見解が述べられている。
では、一つ一つみていこう。
とても読みやすく、分かりやすい筆致であること
およそ「歴史書」というと、学術的で小難しく、あまり一般に読まれることがないという印象がある。事実そのような本は多く、挿絵や視覚的資料に乏しい著作が多くある。しかし本書は、学術性をしっかりと保ちながらも、まるで高校や大学の一般教養にも用いられるような「分かりやすさ」を追求している。
それは各章に掲げられたタイトルにも見て取れる。2章から5章まで、オーソドックスな教科書通りのタイトル(「ドイツの宗教改革」「スイスの宗教改革」)が続いている。しかし、6章になると「プロテスタントの新ブランド」となり、副題で「アメリカ」となっている。ヨーロッパに関しては王道的な記述に徹しているが、6章以降はタイトルから「斬新性」が感じられるように工夫されている。
それだけでなく、キリスト教史の中で最も分かりづらいヨーロッパプロテスタントの拡大・拡散の歴史を、本当に分かりやすく、そして闊達(かったつ)に描ききっている。
各神学校の「キリスト教史」で、教科書として用いるのには最適ではないだろうか。
「宗教改革」を一連の物語として描いていること
私たちは、今年が宗教改革500周年であることを知っている。しかし、本書を読んであらためて実感するのは、ルターはその時流に乗った(または乗せられた)のであって、そこには歴史の妙があるということである。言い換えるなら、ルター以前にもルター的な人物は生まれていたし、ルター以後にも同じような信仰と思想で、新たに生まれつつある現実に勝負を挑んでいく人々がいたということである。
その一連の「歴史絵巻」を作者は1つの壮大な物語として描く努力をされている。これは歴史研究家にとっての理想であって、私自身、大いに感銘を受け、「こんな研究者になりたい」と思わされた。
そしてこの物語は、6章で米国へ渡る。うれしいことに章末には、わが教派である「ペンテコステ運動」にも触れられている。最近のキリスト教系書物では、結構このあたりに言及する研究者が増えてきて、うれしい限りである。宗教改革の端くれにでも、本教派が位置する、と受け止めてくれる学者が増えていることに、私もペンテコステの歴史研究の需要性を感じることができた。
歴史の「なぜ」を明確に叙述していること
これが本書をぜひ紹介したいと思えた最大のポイントである。歴史とは、確かに過去の蓄積であり、一見すると、私たちの現在の状況(時代、場所など)とはまったく関係ないことのように思われる。「宗教改革」と言われても、「世界史で暗記させられた」程度の理解しかない日本人は多く存在する。
そんな市井の人々にとって、歴史書を読むということはかなり億劫(おっくう)なことであろう。そう感じさせないためには、歴史的な事実はもとより、その出来事が「なぜ起こったのか?」に答えることである。そして「同じような状況は、実は私たちの身の回りにも起こっている」ということに気付かされるとき、歴史は単なる「出来事」ではなくなり、私の生活の一部、延長線上に存在するものへと変化していく。
これをE・H・カーという歴史家は、「歴史とは、私たちと過去の出来事との対話である」と表現した。その「過去との対話」がしっかりできるように本書は構成され、また語られている。その中心は、「なぜその出来事が起こったか」に対して、著述者が明確に答えることである。
例えば、私が「なるほど」とうなったのは、本書142ページから143ページにかけての「啓蒙主義」という項目である。私たちは「宗教改革」の次は「理性の時代の台頭」とよく聞く。しかし、それがどうして起こったのか、なぜ人々の「宗教離れ」が起こり始めたのかについて、明快な回答が本書ではなされている。
「啓蒙主義の前提が宗教改革と全く違う地平に立っていることは事実ですが、個人の理性を強調する思潮は教会に反省を迫っていました。それまでの教会が有していた、教派の真理主張を絶対化し、固定した伝統に服従させ、あらゆることに介入し、他の考え方を容認しないという独善的な愚かさに対する反省です。ここから先、18世紀のプロテスタント巨魁(きょかい)を導いていくのは国家によって統一された教会ではなく、個人や共同体の自由が尊重される教会です」(143ページ)
一見、無関係なピースであったはずの「宗教改革」と「啓蒙主義」が、実はある見方からすると地続きであったことが分かる記述である。そして、「なぜ」理性の時代が到来したのかが明確に語られることで、この延長線上に現代のキリスト教界が存在していることが分かる構図となる。
奇しくも、最終章は「一致と寛容」との間を、教会がどう生き抜いてきたか、そして、私たちが今後どのような方向に進むべきかが描かれている。
まさに本書は、歴史の教科書としてのクオリティーを保ちつつ、読む者をキリスト教の世界へ誘い、さらに信仰者としての決断や生き方の指針を指し示す信仰書としての側面も併せ持っている滋味豊かな1冊と言えるだろう。
ぜひ手に取って読んでもらいたい!
藤本満著『シリーズ わたしたちと宗教改革 第1巻 歴史―わたしたちは今どこに立つのか―』(日本キリスト教団出版局、2017年6月)
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