最も難解な神学議論を平易な文章でひもといた、この世で一番分かりやすい神学書登場!
来住英俊著『キリスト教は役に立つか』(2017年4月、新潮選書)
ストレートなタイトルである。テレビドラマの影響か、「~役に立つ」はちょっとした流行語なのかもしれない。
「キリスト教」という世界三大宗教の1つをどう捉えるかは、大げさな表現ではなくその人の世界観に関わる問題である。うさんくさい「宗教群」の1つと見なして、西洋社会への歴史と文化に心を閉ざすか、それともこれを自分の道徳的な指針とするか。この違いは、受け止める私たちの「生き方」を左右することになる。
そして本書は、キリスト教的世界観をカトリック的視点から、誰でも理解できるように解説してくれている。組織神学的トピックスがほぼ網羅されているのも秀逸である。
冒頭で作者の来住(きし)氏はこう述べている。
「今の私はカトリック信者になって良かったと思っています。大胆に言うと、より幸福になりました。その『幸福』を、できるだけ宗教的な語彙(ごい)を使わずに、世俗に近い言葉で話してみる。それがこの本の執筆趣旨です」
そして「キリスト教」を信じるとは、「神の子が十字架上で死ぬことによって人類の罪を贖(あがな)った」という教義を強調することではないとしている。これはあまりに神学的で、一般の日本人には分かりにくいから、というのがその理由である。むしろ次のようにこれを表現している。
「神と人とがともに旅路を歩むこと」
そしてこの旅路の途中で、私たちが普通に悩んだり考え込んだりするさまざまな疑問に、真摯(しんし)に向き合おうとする姿勢が、本書には溢れている。
全部で50項目あり、おのおのが別のトピックスを扱っている。本書は雑誌や新聞に連載したものをまとめたのではなく、完全書き下ろしであるため、作者はきちんと50回を計算して1冊にまとめていることになる。そのためか、組織神学的な問いが随所に見受けられ、さながら「この世で最も分かりやすい神学書」の体をなしていると言っても過言ではない。
これをディボーションのように、毎日1項目ずつ読み進めていくのもいい。私のように、一気にこれを読んで、何度も読み返すのもいい。いずれにしても「分かりやすさ」は近年まれに見るものであり、多くの人に(クリスチャンでない人にも)お薦めできる。
私が個人的に最も深く教えられた項目を紹介しよう。それは9番目の「神が人間に質問する」である。これは、カインとアベルのエピソードを取り上げながら、神から発せられた「お前の弟はどこにいるのか」という問いをめぐっての議論である。
昨今は、人間の側から神に質問すること、お願いすることが多くなった、と作者は語る。しかし本来は、聖書の中では「神が人間に質問している」。そして、その問いかけは、単に「どこにいる?」という所在地を問いただしているのではない。特に自分の親族や友人などが主語になり、「あなたの兄弟はどこにいる?」「あなたの学生時代の友はどこにいる?」と問われる場合、「神からの問いかけ」を通して、実は私たちの人間関係の取り結び方、自分の生き方をあらためて見つめ直す機会が与えられているのだ、ということになる。
来住氏は、本書で神と人間の関係を、私たちが日常的に関わる人間関係を敷衍(ふえん)させることで理解してもらおうと苦心している。この努力は相当なものであると思われる。なぜなら、とかく「牧師」「長年の信仰者」たちは、自分たちの「キリスト教業界用語」で話を完結させ、その用語を何度も用いることで意味するものを相手に忖度(そんたく)してもらおうとするからである。
このような在り方は、「なんとなく分かる」という共通基盤を作るのには適しているが、その概念を用いてお互いに建設的な議論を展開するには不向きである。ましてや教会の事をまったく分からない方々(ノンクリスチャン)にとっては、その言い回しや概念がもどかしく感じられ、いつしかキリスト教界そのものに壁を感じてしまうことになる。
私も牧師として説教者として、常にこの「キリスト教業界用語」を噛み砕いて、分かりやすく説明しようと努力している。そういった観点からも、本書は新しい言い回しや斬新な視点を私たちに、特に人の前で語る者たちに与えてくれる。
例えば、17章「キリスト教は肯定する」には、こんな箇所がある。
「キリスト教の福音というのは、そこに別の人が出てきて、『あなたが生きている世界の本当のあり方はこうなのだ、だからこんなふうに生きていこう』と告げることです。重点は前半です。つまり『世界の本当のあり方』についての知らせです」
続く箇所で、後半の「こんなふうに生きていこう」が前面に出てしまうと、これは単なる道徳になってしまう、と述べている。この箇所を読んで、大いに反省・・・。私は牧師として、大いに後半に力点を置いて、教会に来られた方に向き合っていた。
本書は、平日などに行われる聖書研究会やクリスチャン向けの集会で1項目ずつ読み上げ、そのあとで意見交換するのにも適している。あえて申し上げるが、プロテスタント教派の方々であれば、カトリックの司祭が書かれた本書を用いることで、いつもなら素通りしてしまっていた聖書の箇所にあらためて気づかされたり、一般の日本人に分かる言い回しはどういうものか、について論じ合うきっかけを得ることができるだろう。
私は早速、先週の説教で本書を紹介した。何人かがメモをしておられたので、そういった方と共にディスカッションを楽しむことができるように思う。
来住英俊著『キリスト教は役に立つか』(2017年4月、新潮選書)
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