「宗教改革500周年」の今年だからこそ読むべき良書!
深井智朗著『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』
先日、とある会議に出席した。それは2017年が宗教改革500周年だから、何か大きなイベントを開催しようという集まりだった。イベントの計画が立てられ、内容や主講師が決められた。その後、イベントのタイトルをどうしようかという話になったとき、ある方がこう発言した。
「そもそも、このイベントのどこに宗教改革との関連を見いだすか、ですね。私たちはルーテル派でもなければ、ヨーロッパにあるキリスト教会でもありません。そもそも、500周年を祝うべきなんでしょうか?」
しばし、沈黙が会議を支配した。そこで露呈したのは、いろいろな節目に自教派をアピールしたいという情熱を持っていても、単なる宣伝文句としてしか「宗教改革500年」を用いられないという悲しい現実であった。
自分の教派がカトリックでもギリシャ正教でもない、ということは分かっていても、そのルーツがルターに行き着くということに今一つリアリティーを感じられない方もおられるだろう。本書はそういう方にこそ手に取ってもらいたいものである。
今年は宗教改革から500年目を迎える節目の年である。本書は、この時に読むのに最もふさわしい内容である。これは単なるルター礼賛、プロテスタント万歳の歴史書では決してない。第1章、第2章では、歴史的事実と対比させることで、神格化され政治的に脚色されたヒロイック的なルターのイメージを打破している。「宗教改革」という呼び方に、当時の「生活の座(Sitz im Leben)」から応答していると言っていい。
ルターが目指したのが、決して「カトリック教会からの離脱」ではなく、むしろ「教会内刷新」であったことや、「95箇条」がヴィッテンベルク教会の門扉に釘付けられた可能性がほとんどなかったことなど、当時の記録をひもときながら解説している。読者の目からウロコが落ちる瞬間である。
言い換えるなら、どうしてヒロイックな伝説が生み出され、それがどんな人々によって拡大再生産されていったかを丁寧に解説してくれていると言ってもいい。筆者の言葉を引用しよう。
「ルターの改革は新しい宗派の立ち上げでもなければ、カトリックからの分離でもなかった。ルター自身、カトリックであるという自覚のもとに、その生涯を歩んだ。1517年にヴィッテンベルクの教会の入り口で鳴り響いたハンマーの音によって西ヨーロッパのキリスト教は分裂し、プロテスタントが誕生したというストーリーは簡潔過ぎて、誤解を招く。1517年のルター宗教改革と宗派としてのプロテスタントを直結させてはならない」
第3章以降、ルターが目指した「刷新」が、そのアイデアを政治的に利用される中で1つの宗派が生み出される様子が描かれる。また、このアイデアを独自に解釈することで、ヨーロッパ各地に生み出されたさまざまなプロテスタント宗派の成り立ちについても言及されている。このあたりは、キリスト教史の複雑さをうまくまとめ上げていると思われる。読んでいて、長年の疑問であったことがすっと解消されていく体験を、私は何度もした。
だが、本書の特徴となるのは第5章以降であろう。章タイトルは「改革の改革」。当初、カトリックの対立項と思われていたプロテスタントだが、プロテスタントの本質的特質ゆえに、多くの分派が生み出されていく。この在り方を、現在の「保守主義」と「リベラリズム」の源流と主張するあたりが、読んでいて面白いと思える部分であった。
第5章以降で描き出されるのは、カトリックとの戦いを経て生み出されたプロテスタント諸派(ルーテル派、長老派、聖公会)の在り方をさらに刷新しようとした諸集団(作者の深井氏は神学者トレルチを引用しながら「新プロテスタンティズム」と呼ぶ)の経過である。それは、カトリック教会の「支配」を否定し、新たな「支配者」となった諸派を「古プロテスタンティズム」と見なし、これに替わる新たな教会形態として「自発的結社」を形成するようになった諸派(バプテスト派、ピューリタン以降の教派)の数百年の歴史である。
「古プロテスタンティズム」が生み出した教会の体制を「保守主義」とし、「新プロテスタンティズム」が生み出したものを「リベラリズム」とする。その名称には異論もあろうが、両者を対比的に見るなら、言わんとすることは的を射ていると言えよう。驚くべきことに、私が属するペンテコステ諸派の解説と紹介もなされていた。うれしかった。
単に私の自己満足ではなく、「自発的結社」としてのキリスト教が今から100年前の米国で、どんなセールスポイントで人々にキリスト教を浸透させていったのかを追究する上で、大いに役立つ視点である。これをペンテコステ以外の第三者的視点で解説してもらったことの意味は大きい。
キリスト教(カトリック、プロテスタント、ギリシャ正教含む)が世界三大宗教として歴史的に生き残ることができたのは、さまざまな政治状況、時代、地域に対し、柔軟に対応し得たからである。もちろん限定的に捉えれば、その時代、地域での「真理」が存在し、それを大上段に振りかざすことで「支配機構」が形成されてきたとも言えよう。
後に、刷新を求める人々は「新たな真理」を見いだし、既存の体制から自らを切り分けようとする。しかし、この繰り返しを大局的に見るなら、これらの営みを通して、キリスト教は脈々と受け継がれ、歴史に大きく名を残してきたと言えるのである。
だから自信を持ってこう言える。私たちは、どんな教派教団であっても、キリスト教会である以上は、大きな顔をして2017年の「宗教改革500周年」を祝っていいのである。そんな安心感を学術的に与えてくれるのが、本書最大の特徴であると言えよう。
深井智朗著『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』(2017年3月、中公新書)
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