冷泉彰彦著『予言するアメリカ 事件と映画にみる超大国の未来』(2017年7月、朝日新書)
今を生きる米国人の文化・信仰を、分かりやすくつかむために最適の1冊!
本書は、プリンストン在住のフリージャーナリスト、冷泉彰彦氏の新刊である。冷泉氏が「ニューズウィーク」(日本版)などに連載していた映画評を1冊の本にリライトしたものである。トランプ政権誕生を踏まえ、どうしてそのような米国になっていったのか、を映画というフィルターを通してつまびらかにしようとする意欲作である。
ここまで書くと、「神学とは関係ないのでは?」という声が聞こえてきそうである。しかし米国人、市井の人々がどのような信仰を抱き、それがどのように国家の動向に反映されているかという視点で見るなら、これは(おおまかではあるが)十分に「現時点における米国人の文化的気質・信仰」を明確に物語っているとも言えよう。
本書で扱われているテーマは「正義」である。これは建国の理念にも組み込まれ、米国人の精神の中心に位置している(と彼らは考えている)概念である。ヨーロッパ、特に英国において神の前に聖(きよ)くあろうとしたピューリタンたちは、このままでは自分たちが神の前に正しく立てない、つまり「正義」を行使する者としてふさわしくないという烙印を押されてしまうのではないかと危惧し、大西洋を渡った。その彼らを米国は「ピルグリム・ファーザーズ」として神聖視する。信仰の父たちの精神を受け継ぐことで、「神の正義を行使する国家」を今も打ち建てつつあると信じているのである。
ハリウッド映画が世界を席巻し、紋切り型の勧善懲悪ドラマが「ハリウッド流」と揶揄(やゆ)されるようになっても、彼らはこの「正義」を揺るがせることはしなかった。しかし、冷泉氏の分析を待つまでもなく、9・11以後にこの状況が一変する。それはハリウッド映画の「作風の変化」である。次第に水紋が広がっていくように「アメリカの正義は果たして本当に『正義』なのか?」と従来の価値観を相対化するような作品が生み出されてくる。
実はこのあたりから、米国福音派陣営にも大きな亀裂が生まれてきている。それは「福音派(エヴァンジェリカル)」と「原理主義(ファンダメンタリズム)」との相克である。イスラムをどう扱うかで、ブッシュ大統領を支持しながらも彼らとの共存を願った前者と、逆にかたくなに異文化を拒否しようとした後者との軋轢(あつれき)である。
冷泉氏は、9・11が確かに大きな転換期であったことを認めつつも、映画の世界ではそれに先立つ「正義の相対化」が起こっていたことを指摘する。それは以下の作品によってである。
「アメリカン・ビューティー」(1999)
「マトリックス」(1999)
「パーフェクト・ストーム」(2000)
「シュレック」(2000)
どれもレンタルDVDで容易に借りられる作品である。このあたりの映画がすでに米国の正義を疑い出しているというあたり、映画の持つ先見性が見受けられるということだろう。そしてキリスト教界においても、この時期はとても大きな意味を持つ。それは「世紀の変わり目」ということである。
やはり「世紀末」に対する神学的アプローチは、教派教団によってさまざまで、特に保守系キリスト教教派はそこに終末意識を絡めてくることになる。すると、聖書の超法規的な視点から現実を分析することになるため、自国の正義が必ずしも聖書のそれと合致しているとは見なされないことは、十分に考えられることである。
冷泉氏の主張に戻ろう。第4章以降、揺らぎ始めた米国の価値観を、見事に反映させた映画作品が紹介されていく。具体的には「ダークナイト」「ミュンヘン」「マン・オブ・スティール」などである。うれしいことに、ほとんどがエンターテインメント作品であり、私たちにもなじみのあるものばかりである。冷泉氏の言葉を借りるなら「ポスト・ダークナイト・シンドローム」に位置する映画である。
彼はかなり「ダークナイト」を評価しているが、その感覚は分かる。私もこの作品に出会って、アメコミヒーローに対する深い洞察を持つことができたからである。作中の「ジョーカー」というキャラクターが、米国の価値観を完全に相対化し、善の側に自分はいると思っていた人々に対して、彼ら自身の心に存在するダークな一面を直視させるストーリー展開は、確かに9・11によって攻撃を受けたこと自体で、米国民が自分たちのアイデンティティーを疑い始める流れと軌を一にしている。
ここにも神学が目指すべき1つの視点がある。それは、やはり市井の方々が理解し、また興味を持てるような題材に還元できる適応力を持っているか、ということである。映画とキリスト教、というと一世代前までは「水と油」「聖と俗」と見なされ、劇場を出て教会へ足を向けることが奨励された。
しかし現在は、教会の中で映画会が催されたり、キリスト教的な映画が一般劇場で上映されていたりする。神学の実態は決して小難しいものではなく、私たちが知らず知らずに受け止めていた文化、死生観、世界観を形成する重要なファクターとして、今なお十分に機能しているし、そのような視点を持つなら、一番リアリティーあるものとして私たちの身近に存在していると言えよう。
本書は、第5章でハリウッドが日本をどう描いてきたか、が語られている。80年代のアイロニカルな視点から、世紀をまたいで「クールジャパン」に至るまで、映画の中で日本人がどのように描かれてきたか、を面白くたどることができる。このような視点も、米国が対外的にどんな立場の推移をしてきたか、理解することの一助になる。
映画と政治、映画と神学、一見関係がないように見えて実はその根底では深くつながっているのだ、ということを改めて本書から教えられた気がする。映画好きな方、ちょっと新しい視点でキリスト教や神学をひもといてみたい方、ぜひご一読ください!
冷泉彰彦著『予言するアメリカ 事件と映画にみる超大国の未来』(2017年7月、朝日新書)
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