信教の自由、政教分離の考えがなかった戦中
最後に、私が憲法研究者として、またクリスチャンの一人として見逃すことのできない憲法問題に触れておきます。それは政教分離の問題です。私は、政治と宗教の分離問題は、宗教問題にとどまらず、大きな平和問題であると考えています。歴史的にも宗教問題で多くの戦争が起こっています。1618~48年に欧州で起こった30年戦争、今、中東のイラクやイスラエルで起こっている戦争、さらに「イスラム国」(IS)問題、みな宗教が絡んでいます。
戦前・戦中の日本もそうでした。当時のわが国には、信教の自由と政教分離という考え方は全くなかったのです。当時は国家神道だったのです。国家神道というのは、皇室と国家を中心とする神道のことで、神社は国家のまつりごとであり、神社は宗教ではないとされたのです。そして神社参拝は国民の義務でした。
大日本帝国憲法を見ておきましょう。帝国憲法28条です。「日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有す」とあります。ここに二つの制限があります。一つは「安寧秩序」を妨げないこと、もう一つは「臣民たるの義務に背かない」ということです。「安寧秩序」というのは、簡単に言えば公の秩序のことです。戦争中、治安維持法という法律がありました。これは、天皇制を否定したり、私有財産制を否定したりする発言や運動を処罰する法律です。恐ろしい法律でした。戦争の中ごろ、この法律の違反者に対する最高刑は死刑でした。
この二つの制限に当てはまるということで弾圧された宗教はたくさんあります。キリスト教はもちろんです。日蓮宗、天理教、ひとのみち(現在のPL教団)、それから大本教です。大本教の本部は京都の綾部市と亀岡市にありました。亀岡では、あの明智光秀の城のあったところに神殿があったのです。この神殿はダイナマイトで爆破されました。大本教の教義が、日本書紀や古事記に書かれている古代天皇家の物語を裏返しにしたようなもので、天皇制を軽んじている、不敬罪に当たるとして弾圧されたのです。キリスト教会にも憲兵がやってきて、牧師に向かってここの教会の神と現人神である天皇陛下とどちらが偉いんだという、およそ次元の違う議論を持ち込んできたのです。ばかげています。しかし、これが歴史の上での事実です。実際にあったことです。抵抗して殉職した牧師もいました。
私が小学生だった当時、神社参拝は学校教育の大きな柱でした。いや、全国民の義務でした。植民地であった朝鮮半島、台湾、戦争で占領したシンガポールなどにまで神社をつくり、土地の人たちに参拝を強制したのです。国家神道体制の下では、信教の自由や政教分離は、全く認識の対象ではなかったのです。そして神社は戦争の道具として使われたのです。その典型的な例が靖国神社です。靖国神社は戦争中、陸海軍が直轄する軍の神社で、天皇に忠義を尽くして戦死した者を祀(まつ)る神社です。
靖国神社に見る政教分離の問題
この靖国神社は、戦後は国家から切り離され宗教法人として存在しています。ところが41年前の1974年(昭和49年)、この靖国神社をもう一度、国家が管理する神社にしようという動きが起こったのです。遺族会の運動です。これを受けて自民党政府が靖国神社国家護持法という法律案を国会に出しました。しかし、これは憲法20条の政教分離規定に真っ正面から違反します。ですから多くの国民が反対し、この法案は廃案になり、その後何度も提案されましたが不発に終わりました。
そこで31年前の84年(昭和59年)、自民党政府は方針を変えて、首相や閣僚が公式参拝したり、玉串料を公費から出したりするのは合憲だという見解を出したのです。これを受けて全国各地の県議会が、首相・閣僚は公式参拝をするべしという決議をしたのです。そして85年(昭和60年)8月15日に中曽根康弘首相と閣僚が初めて公式参拝したのです。
これに対し国内からはもちろんですが、中国や韓国から大きな批判が起こりました。憲法違反の上に、当時の靖国神社にはA級戦犯が合祀(ごうし)されていました。このことを知った昭和天皇はその後、靖国参拝を中止しました。中曽根首相もその後、公式参拝を中止しました。その後の首相もしなかった。それを復活したのが、小泉純一郎首相です。彼は2001年4月に就任してから靖国神社に何度も参拝し、そのたびに中国や韓国から厳しい批判を受けました。当時の自民党幹事長が、今の安倍首相です。小泉首相は靖国参拝を続け、そのたびに内外から批判されました。それでその後の首相は参拝を控えてきたのです。ところが一昨年、安倍首相がまた靖国参拝をしたのです。そのため中国、韓国との外交関係は冷え込んでしまいました。昨年8月15日は靖国参拝をしませんでした。批判をかわすためでしょう。
このように、政教分離の問題は、重要な憲法問題であり、外交問題を含む平和の問題であります。私は平和問題を論じるとき、9条と同じレベルで、20条の信教の自由と政教分離を論じるべきだと考えています。しかし憲法研究者の間で、こういう議論がほとんどなされていないのは残念なことです。私は一人のクリスチャン憲法研究者としてこうした認識が大切だと考えています。
おわりに
最初に言いましたように、私は今の政治の動きに大変な危機感を持っています。この半世紀、私は憲法学を勉強し、学生に教え、護憲運動をやってきました。しかし、これまで今のような危機感を持ったことはありません。85歳になりましたが、このままでは安らかな余生などと言っておられません。子や孫の世代のために戦争しないこの国を守っていきたいのです。最後に聖書の中の平和についての御言葉を挙げて終わりにしたいと思います。
「平和を実現する人々は、幸いである、/ その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤(すき)とし / 槍(やり)を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず / もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」(イザヤ2:4〜5)
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宮本栄三(みやもと・えいぞう):1930年、和歌山県生まれ。同志社大学大学院法学研究科博士課程単位取得後、近江兄弟社中学・高等学校校長、四国学院大学助教授を経て、73年より宇都宮大学教授、95年より国士舘大学法学部・大学院法学研究科教授。共著書に『判例憲法学』(ミネルヴァ書房、1958年)、『現代法講義・憲法』(三省堂、1981年)、『新訂 現代日本の憲法』(法律文化社、1989年)、編著書に『現代日本の憲法 人権と平和』(法律文化社、1995年)などがある。現在、宇都宮大学名誉教授。日本基督教団四條町教会員。「九条の会・栃木」共同代表。
※ 宮本氏が共同代表を務める「九条の会・栃木」では、8月1日に地元の下野新聞1面に「安保法制法は違憲だ 憲法9条は日本の宝・世界の宝」という意見広告を出すことになっており、200人ほどが呼び掛け人となっている。1口1000円で、1ページ300万円を目標に、2000〜3000人の賛同者を募っている。詳しくは同会のホームページへ。