クリスチャンで国際基督教大学(ICU)教養学部特任教授・同平和研究所所長の千葉眞氏(政治思想史、政治理論)に、「安倍政権と日本国憲法、そしてキリスト教」というテーマの下でインタビューを行った。千葉氏はインタビューの中で、福音宣教と社会・政治、政治思想とキリスト教の関連性、内村鑑三の信仰とナショナリズム、立憲主義とキリスト教、日本国憲法の平和主義とキリスト者の平和思想、非戦型安全保障構想、殺人と戦争の二重道徳、キリスト者の役割について論じた。以下はその主な内容である。
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千葉氏:笹川(紀勝)先生(ICU名誉教授、憲法学者)も宮田(光雄)先生(東北大学名誉教授、政治学者)もそうですが、その世代は政治を絶対化したわけではありませんが、(ディートリッヒ・)ボンヘッファーのキリスト教倫理学の das Letzte(ドイツ語で「究極」という意味)の議論を、結構みんな考えていました。無教会では、高橋三郎先生(伝道者)や飯坂良明先生(学習院大学名誉教授、政治学者)。こういう先生たちが、福音宣教は das Letzte、究極的なものだと、政治は究極ではないが、究極の一歩手前の das Vorletzte だということを話していました。究極の一歩手前のことであるため、福音宣教ほど重要ではないが、それに迫るほどの究極の一歩手前の重要な事柄だから、それに無関心であってはならないということを話していました。これは、無教会では高橋三郎先生が結構おっしゃっていました。
そういうものがあの世代にはありましたが、今はあまりなくなりました。それは、一つは福音派の人たちがやはり多くなりましたよね。だから、リベラルは結局信仰がしっかりしてないのではないか、人権とかそういうことばかりだということで、社会派と教会派というのでしょうか、福音派の不幸な対立が教会内部にありました。私は無教会ですが、不幸な対立だと思いました。福音宣教と社会・政治へのコミットメント(責務・献身)が、やはり Letzte と Vorletzte ですが、一緒でないといけないと思っていましたので。内村(鑑三)や矢内原(忠雄)、南原(繁)からは、そういうメッセージがずっとありましたから。米国でも社会派と福音派が分かれましたが、日本も同じだと思い、これは残念なことだと思いました。
神学校もそういう区分けがあるらしく、米国でもここは福音派、ここは社会派というように。ユニオン神学校などは社会派で、解放の神学とかそればっかりやって、みんな行かなくなったりして。それから南部バプテストの非常に dispensational(ディスペンセーション的)な神学というのでしょうか。ファンダメンタリスト(根本主義者)的な感じで、イラク戦争なども擁護する人たちが結構多かったみたいです。それから福音派のゴードン・コーンウェルとか、トリニティとか、フラーとか、神学校がありますよね。相互にあまり対話がないと米国の神学生の人たちが言っていましたので、残念だと思いました。
日本はそれほど分けることができるほど余裕がないので、一緒にやらないといけないですよね。だから、社会派も教会派も福音派も一緒に力を合わせていけばいいが、それが難しいのかもしれません。(続く:政治思想とキリスト教の関連性)