日本基督教団の大阪の4教会が26日、東梅田教会(大阪市北区)で合同研修会「今問われる教会の使命~平和憲法の危機に直面して~」を開催した。カトリック大阪大司教区の松浦悟郎補佐司教を講師に迎えて、プロテスタント、カトリック合わせて約90人が参加した。
松浦司教は、『なぜ教会は社会問題にかかわるのか』(司教協議会社会司教委員会編)のシンポジウムを開催したり、「宗教者九条の和」「憲法9条を世界の宝に・ピース9の会」の結成呼び掛け人で、『武器なき世界の実現を~報復ではなく、いのちの連鎖へ』『信仰の良心のための闘い~日の丸、君が代の強制に抗して』(共著)などの著作がある。
讃美歌21の419番「さあ、共に生きよう」が歌われたあと始まった講演の冒頭、松浦司教は「教会や教派の垣根を越えて今日、話し合えるのは嬉しいことです。今日本が急速に戦争ができる国へと舵をとり、そして世界がおかしくなってきています。日本ではヘイトスピーチ、北欧でもネオナチズム、超極右主義による移民排斥が強まり、議会でも勢力を強めています。いつの時代にもそのようなものはありました。しかし少なくとも人権や人間の尊厳というものへの意識が抑制的にしていた。しかし今はその箍(たが)がはずれ、国際社会が作り上げてきた人権、平和、人間の尊厳に関するありえない発言が社会を闊歩(かっぽ)しています」と述べた。
カトリックでは日曜日のこの日、世界中のミサで旧約聖書・出エジプト記の寄留者保護に関する聖書箇所が読まれたという。イスラエルでは寡婦や孤児を苦しめてはならないという決まりがあり、寡婦のために落穂を残し、貧しい者に金を貸す場合は利子を取ってはならず、上着を質に取るならば日没までに返さなければならなかった。また、50年に一度の「ヨベルの年」には、それまでの利子をゼロにする決まりがあり、松浦司教は「世界はこの旧約の精神を学ぶべきではないかと思います」と語った。
また、社会には政治、経済、習慣などさまざまな仕組みがあるが、「『憐れみ』によって立つものでなければ、力によって奪う誤った国になっていきます。『神の憐れみに基づく』ことが基本にあるべきです」と指摘。こうした信仰の視点で、政治、文化、経済を見て判断し、働き掛けることが大切ではないかと訴えた。
「もし教会が政治とは無関係に行こうとするなら、100年前、200年前と何も変わりません。教会は今の時代に派遣されているのです」と続け、「『今ここに』ということ抜きにはありえない。私たちの教会は今、大阪に、あるいは世界のそれぞれの場所に派遣されているのではないでしょうか」「もし、そこが神の国とかけ離れた政治、文化、経済なら黙っていていいのでしょうか。そのために私たちは派遣されたのではないでしょうか」と語った。
一方、「この社会は難しい。賛否両論があります」と松浦司教は言う。「イエスがこう言ったからこうだと簡単には言えません」。憲法9条ひとつをとってもそうだとし、「私たちは信仰の視点からそれをどう判断するか考えねばなりません」「信仰を持った仲間と、具体的な政治、社会、家庭のことを分かち合い話し合うことで、変わっていき、神の国に近づき成長していくべきだと思います」と語った。
また、「だからどうか教会に来てほしい。分かち合ってほしい。そして外の世界へと出て行ってほしい。教会で何も語らず、聖書を読み、賛美歌を歌い、お祈りだけをするのではもったいない」と訴え、「教会の使命を考えたい。賛否両論があって議論したらいいと思います。そして、最後に主よ教えてください、とひざまずき、自分の人生において責任をもって歩いていくのです。もしその道の途中で違ったら、もう一回そこに行きますと、何度も何度も繰り返し、反省しながら、この困難な現実を選び取っていかなければいけない」と述べた。
さらに、10月にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユサフザイさんや、集団的自衛権の問題などについても触れた。
日本国憲法の前文にある「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」という部分を引用し、サンフランシスコ講和条約を署名した吉田茂首相(当時)が、「日本は軍備によって亡びた。だから、これからは軍隊を持たないで自衛することを目指す。敵を作らないで、友達を作ろう」と語った言葉を紹介した。
また、アフガニスタンで医療活動を続けているペシャワール会代表の医師・中村哲氏(バプテスト派のクリスチャン)の「憲法9条が私たちを守ってきた。アフガニスタンの戦地でも活動できた。しかしそれも危なくなってきた。これからは日本人が狙われるようになってくる」という言葉も紹介した。
松浦司教の友人には、フィリピンのミンダナオ島で子ども図書館を建設し、イスラム教やキリスト教の子どもたち約100人以上と共に暮らし、子どもたちを中学や高校に通わせる教育活動を行っている人がいるという。この人によると、ミンダナオ島でも今、イスラム国(IS)が暗い影を落としており、島からイスラム国を志願し多くの若者が中東に流れていっているという。
そしてこの人からは、「これからはキリスト教ということで、あるいは日本が集団的自衛権を行使するなら、日本人というだけで狙われるようになる。もし集団的自衛権を本当に行使するなら、ここを閉じなければいけない」というメールが届いたという。
最後には若者の教育について触れ、「私たちが反省すべきことがあります。それは学校教育の中で、平和のポジションを守り続けていくことの大事さを子どもに教えてこなかったことです」と語った。「日本国憲法の平和のポジションをただ恩恵として、国内のみでしか使ってこなかった。私たちは憲法を使わなければいけない。平和は名詞ではなく、動詞です。平和を生きることに意味があります。憲法の3分の1は自由について書かれています。この自由を使わなければならない。私たちは、自分たちの意見を自由に発表しても、投獄されることはない。表現の自由がある。しかし、使わなければ意味がないのです。それは憲法20条にある『信教の自由』にもつながる問題です」と締めくくった。
講演後の質疑応答では、年配の女性から、3、40年前は教会も大学生も社会活動をしていたが、今の日本の若者はそうではない。今の日本で若者に憲法の話をしても浮いてしまうのではないか、という意見があった。
これに対し、松浦司教は「そのように私たちがしてきたのではないでしょうか。大学を出て企業戦士として社会に入り、経済至上主義で走っていった。大人たちは自分たちのようにとお尻を叩いてきたのではないでしょうか」と指摘。だが、「だから私たちが今一緒に立ち返っていかなければならないのだと思います」と語った。
具体的には、これまで学校教育の中では、ディベートや政治を語ることが避けられてきたが、「若者は現実を知れば情熱をもってコミットしてきます。そのような機会を作ることが大事です。そしてこの社会が、声を上げる、自分で考えていいという空気と教育制度を作っていくことが課題なのだと思います」と語った。
この他、会場では予定の2時間を超えて、真剣な意見が交わされた。